真霊論-巫女

巫女

序章:巫女という存在の本質

巫女とは、単に神社に仕える女性を指す言葉ではない。その本質は、我々が生きるこの現象世界「顕世(うつしよ)」と、神霊や精霊が存在する「隠世(かくりよ)」とを結ぶ、生きた結節点そのものなのである。巫女は、その身を神々のための器として捧げ、人と神とを繋ぐために存在する、聖なる媒介者なのだ。

巫女の「巫」という文字は「かんなぎ」とも読まれ、これは神をその身に降ろし、憑依させる儀式そのものを指す言葉であった。つまり、巫女とはその職務内容ではなく、神の器と化すという「在り方」そのものによって定義される存在なのである。ゆえに、巫女は「神の子」あるいは「神子」とも表記される。これは比喩表現ではなく、文字通り神の意志を宿し、その力を現世に顕現させるための神聖な器としての役割を意味しているのだ。この役割を果たすためには、心身の清浄さが絶対条件となる。巫女の純粋性は、神霊が降臨するにあたって混濁のない、澄み切った鏡面のような媒体となるために不可欠なのである。

その原型は、日本最古の歴史書である『古事記』に記された天鈿女命(アメノウズメノミコト)の神話に見ることができる。太陽神である天照大御神が天岩戸に隠れてしまい、世界が闇に閉ざされた際、天鈿女命は神懸かり的な忘我の舞を舞った。この舞は単なる遊興ではなく、神聖な力をその身に降ろして宇宙的規模の事象に影響を与える、強力な呪術儀式であった。この神話的行為の中に、神楽舞による奉仕、神懸かりによる神託、そして世界の秩序を回復させる力という、巫女が担うべき本質的な機能のすべてが凝縮されているのである。巫女とは、神に仕え、神職を補佐し、そして人々にとっては神域への案内人となる、聖なる存在なのだ。

第一章:神代より連なる巫女の系譜

巫女の歴史は、日本の精神史そのものであり、その役割は時代ごとの政治、社会、そして宗教的要請によって大きく変容を遂げてきた。その変遷は、日本の権力構造と霊的権威の関係性を映し出す鏡なのである。

古代において、巫女は単なる祭司にとどまらず、絶大な権力を持つ霊的指導者、すなわち女王として君臨していた。その最も著名な例が、3世紀の日本に存在した邪馬台国の女王、卑弥呼である。中国の史書『魏志倭人伝』によれば、彼女は「鬼道」と呼ばれる呪術を用いて国を治め、その姿をほとんど人前に現すことはなかったという。神の意志を問うことで国政を動かした卑弥呼は、その霊能力こそが統治の正当性の源泉であり、巫女が政治と祭祀の両方を掌握していた時代の頂点を示す存在であった。

大和朝廷による国家統一が進むと、巫女の持つ強大な霊的権威は国家の管理下に置かれ、制度化されていく。その最高位に位置するのが「斎王(さいおう)」であった。斎王とは、天皇の即位ごとに未婚の皇族女性の中から卜定(ぼくじょう)という占いで選ばれ、伊勢神宮の天照大御神に仕えるために遣わされた存在である。この制度は約660年間にわたり続き、60人以上の皇女がその任に就いた。斎王は「斎宮(さいくう)」と呼ばれる広大な宮殿群に暮らし、そこは「竹の都」とも称されるほどの規模と文化水準を誇る一大都市であった。斎王の生活は、祈りを捧げる厳格な日々であると同時に、都の貴族文化を享受する雅なものであったが、恋愛は固く禁じられ、仏教に関する言葉を口にすることさえ許されないなど、厳しい制約も課せられていた。斎王制度は、国家が女性の持つ霊的な力を天皇家の権威と直結させるために制度化した、霊的権威の国家管理の象徴と言える。

中世に入ると、巫女のあり方はさらに多様化する。有力な神社では、儀式化・様式化された神楽舞を奉納する「神社巫女」が定着する一方で、民間では人々の素朴な信仰に応える様々な巫女が活動した。この時代、出雲大社の巫女であったとされる出雲阿国が、のちの歌舞伎の源流となる「かぶきおどり」を創始したという説は、神聖な儀式としての舞が、世俗の芸能へと展開していく過程を象徴している。

しかし、明治維新はこの長大な巫女の歴史に断絶をもたらす。近代国家建設を急ぐ明治政府は、西洋的な合理主義と国家神道を推進する中で、古来の巫女が持つ神懸かりや口寄せといった超自然的な能力を、非科学的で国家統制の妨げになるものと見なした。そして明治6年(1873年)、教部省は神霊の憑依による託宣などを全面的に禁止する通達を発したのである。これは通称「巫女禁断令」と呼ばれ、これにより、古代から連綿と受け継がれてきた巫女のシャーマニズム的側面は公的に否定された。神々と直接交感する巫女は非合法化され、その代わりに、男性神職を補助し、儀礼や事務作業に従事する、近代的で管理可能な「神社職員」としての巫女像が確立されたのだ。巫女の歴史は、霊的権威が政治権力の中枢にあった時代から、国家によって管理され、そして近代化の過程でその本質的な能力を禁じられるという、権力との関係性の変遷の物語なのである。

第二章:神霊と交感する巫女の異能

近代化の過程で禁じられたとはいえ、巫女の本質は神霊と交感するその超常的な能力にあった。それらは単なる神秘体験ではなく、宇宙と社会の調和を保つための高度な霊的技術体系であった。

その根幹をなすのが「神懸かり(かみがかり)」である。これは、神や高次の霊的存在が巫女の肉体に降臨し、彼女を完全な器として用いる現象を指す。この状態において巫女自身の意識は後退し、その口を通して語られる言葉、その身体を通して行われる所作は、すべて降臨した神霊のものとなる。この神懸かりによってもたらされる神の言葉が「託宣(たくせん)」である。託宣は、未来の予言、災厄への警告、あるいは国家や共同体の進むべき道を示す指針など、極めて重要な情報をもたらした。古代の女王卑弥呼の統治は、まさにこの託宣の力に基づいていたのである。

神懸かりが神々との交信であるのに対し、「口寄せ(くちよせ)」は、死者の霊(死霊)や、時には生きている人間の魂(生霊)を呼び出し、その言葉を伝える技術である。巫女は現世とあの世を繋ぐ霊的な通信路となり、遺された者が故人と対話することを可能にした。これは、東北地方のイタコが有名であるが、かつては全国の民間巫女が広く行っていた能力であった。

さらに、巫女の秘儀の中でも特に深遠なものに「鎮魂(ちんこん)」がある。これは、単に荒ぶる魂を鎮めるというだけではない。弱った魂に活力を与え、不安定な魂を落ち着かせ、あるいは「魂振り(たまふり)」によって生命力そのものを活性化させるための、高度な霊的呪術なのである。歴史的に最も重要な鎮魂祭は、国家の安寧と直結するとされた天皇のために行われた。その儀式では、巫女が伏せた槽(うけふね)の上で矛を持ってこれを突く(天鈿女命の神話を再現する所作)、あるいは糸を結んで魂を身体に結びつける、天皇の衣を振って魂を呼び戻すといった象徴的な行為が行われた。これは、「タマ」と呼ばれる魂を、操作・活性化可能なエネルギーとして捉える、精緻な霊魂観に基づいた技術体系であった。

これらの能力に加え、巫女は祓いや祈祷、祝福や時には呪詛といった様々な「呪術(じゅじゅつ)」を駆使した。それには神楽鈴や御幣といった「採物(とりもの)」、祝詞(のりと)の奏上、そして塩や水、酒、神聖な植物といった霊的な力を持つとされる物質が用いられた。巫女の持つ異能とは、神託を得るための「神懸かり」、死者との対話を実現する「口寄せ」、そして生命力を操作する「鎮魂」という、それぞれが異なる霊的領域に働きかける専門技術の集合体であった。彼女たちは、共同体の霊的な病を診断し、治療する魂の技術者だったのである。

第三章:多様なる巫女の姿

「巫女」という言葉は、実に多様な存在を内包している。その役割は、国家祭祀の中心を担う高貴な皇女から、民衆の間で霊的な奉仕を行う者まで、幅広い階層にわたっていた。この多様性は、日本の信仰が制度化された権威と、個人の霊能力に根差したカリスマ的権威との間で常に揺れ動いてきたことの証左でもある。

現代において最も一般的に見られるのが「神社巫女(じんじゃみこ)」である。古来、神社巫女は神楽舞の奉納などを通じて神懸かり状態に入り、神託を告げる中心的な役割を担っていた。しかし、明治維新以降、その役割は大きく変容した。現代の神社巫女は、主に神職(しんしょく)の補佐役であり、その仕事は儀式での舞の奉納、授与所での御守りや御札の頒布、境内の清掃、そして参拝者の応対といった、祭祀の補助と管理業務が中心となっている。かつてのシャーマンとしての機能は、ほぼ完全に儀礼的・管理的な役割へと置き換えられたのである。

これとは対照的に、国家祭祀の頂点に立ったのが「皇室巫女(こうしつみこ)」である。伊勢神宮に仕えた斎王や、京都の賀茂神社に仕えた斎院(さいいん)は、その代表格であった。彼女たちの権威は、皇女という生まれながらの血筋に由来するものであり、国家によって制度化された霊的権威の極致であった。また、朝廷の神祇官(じんぎかん)に所属し、天皇の鎮魂祭などを司った御巫(みかんなぎ)も、この系譜に連なる存在である。

一方、制度化された神社の外で、民衆の霊的な求めに応じて活動したのが「民間巫女(みんかんみこ)」である。彼女たちは、神社から失われつつあった古来のシャーマニズム的伝統を色濃く受け継いでいた。特定の神社に属さず諸国を遍歴した「歩き巫女(あるきみこ)」は、村々を巡って祈祷や口寄せ、占いを行った。彼女たちは社会の周縁に生き、時には旅芸人や遊女と同一視されることもあった。戦国時代には、この歩き巫女の移動性と社会への浸透力に着目した武田信玄のような武将が、彼女たちを「くノ一」と呼ばれる諜報員として組織し、情報収集に利用したという記録も残っている。これは、聖なる力が軍事目的に転用された興味深い事例である。その他にも、梓の木で作った弓を鳴らして託宣を行う梓巫女(あずさみこ)や、現代にその姿を残す東北地方のイタコ、沖縄のノロなども、この民間巫女の系譜に属する。

これらの多様な巫女の姿は、宗教における二つの権威のあり方を浮き彫りにする。一つは、斎王や現代の神社巫女のように、血筋や組織への所属によって保証される「制度的権威」。もう一つは、歩き巫女やイタコのように、神懸かりや口寄せといった個人の実証可能な霊能力に基づく「カリスマ的権威」である。明治の巫女禁断令は、国家が管理不能な後者の権威を公的に否定し、管理可能な前者の権威のみを公認するという、制度的権威の決定的勝利を意味したのであった。

第四章:神聖を纏う巫女の装束と祭具

巫女の象徴的な姿、すなわちその装束と手に持つ祭具は、単なる衣装や小道具ではない。それらは一つ一つが深い象徴的意味を持ち、霊的なエネルギーを操作するために構築された、機能的な呪術体系の一部なのである。

巫女装束の基本は、白衣(はくい)と緋袴(ひばかま)の組み合わせである。上半身に纏う白衣は、清浄、神聖、そして穢れのなさを示す色である。これを身に着けることで、巫女は自らが神を迎えるための、一点の曇りもない純粋な器であることを宣言するのである。一方、下半身を覆う鮮やかな緋色の袴は、生命力、太陽、そして魔を祓う力を象徴する色だ。この白と赤の組み合わせは、「生命のエネルギーを宿すための清浄な器」という、巫女の存在そのものを視覚的に表現しているのである。重要な祭祀や神楽舞の際には、これらの上に「千早(ちはや)」と呼ばれる、薄物でできた優美な上衣を羽織る。千早には松や鶴といった吉祥文様が描かれることもあり、巫女の神聖さを一層高める役割を果たす。

巫女が儀式の際に手にする「採物(とりもの)」は、神霊が一時的に宿る依り代(よりしろ)としての機能を持つ。その代表格が「神楽鈴(かぐらすず)」である。複数の鈴が取り付けられたこの祭具が奏でる清らかな音色は、神々を招き寄せ、場を浄化し、邪悪なものを退ける力があると信じられている。鈴はしばしば上から三・五・七個という、陰陽道における吉数で配置されており、宇宙の秩序を象徴している。また、榊の枝に紙垂(しで)を付けた「御幣(ごへい)」は、神の存在そのものを象徴する強力な祓具であり、巫女がこれを持つことは、神の力を直接手にすることを意味する。さらに、神楽舞で用いられる扇(おうぎ)も、その開閉や優雅な動きによって、神の恵みの風を送り、場に祝福をもたらす象徴的な所作となる。

このように、巫女の装束と祭具は、全体として一つの統合された霊的システムを形成している。白衣が神霊を受け入れる器となり、緋袴がその生命力を内に留め、そして手に持った神楽鈴の音色が、浄化された聖なる力を周囲の世界へと放射する。巫女が舞うとき、彼女は単に踊っているのではない。その身体は神聖なエネルギーが流れる回路となり、その装束と祭具は、そのエネルギーを調整し、増幅し、そして世界に作用させるための、精巧な霊的装置として機能しているのである。

終章:現代に生きる巫女の役割

明治の断絶を経て、現代に生きる巫女の役割は、かつてのシャーマンとしての姿から、神聖な管理者、そして儀礼の執行者へと大きくその姿を変えた。しかし、その根底に流れる精神性は、形を変えながらも今に受け継がれているのである。

現代の巫女の主な職務は、神職の補佐である。祭儀の準備、神前への供物の奉仕、そして神職が祭祀を円滑に執り行うためのあらゆる支援がこれに含まれる。また、結婚式やご祈祷の場で儀式的な神楽舞を奉納したり、御神酒(おみき)を参列者に授けたりすることも重要な役割だ。しかし、全ての神社で巫女が舞を奉納するわけではなく、その役割は神社によって異なる。彼女たちは神社の「顔」として、授与所で御守りや御札を参拝者に手渡し、御朱印を記し、参拝者の様々な問いに応える。神聖な空間である境内を清掃することも、単なる労働ではなく、場を清め保つという霊的な奉仕の一環と見なされる。近年では、神社のウェブサイトやSNSの管理、事務作業など、現代的なスキルも求められるようになってきている。

現代において巫女になるために、神職のような国家資格は必要ない。神職の娘や親族が務めることが多いが、一般から採用される場合もある。多くの場合、20代後半で退職するという暗黙の慣例が存在する。また、正月などの繁忙期には、「助勤(じょきん)」と呼ばれる臨時の巫女として、学生などが奉仕することも一般的である。

では、古代の巫女が持っていた強大な霊力は、完全に失われてしまったのだろうか。そう断じるのは早計であろう。かつての神懸かりという直接的で予測不可能な霊的エネルギーの発露は、現代の様式化され、洗練された神楽舞の統制された美しさの中へと昇華されたと見るべきである。人々の運命を左右するほどの託宣を告げる力は、参拝者一人ひとりに御守りを手渡し、その幸せを静かに祈るという、穏やかで支持的な行為へと形を変えたのだ。

現代の巫ごの力は、より静かで、拡散的である。彼女たちは、自らが神の器となるのではなく、参拝者たちが神の存在を感じられる神聖な「気配」や「雰囲気」を護り、育む守護者となったのである。優雅な舞、清められた境内、授与所での敬虔な立ち居振る舞い。これらすべてが、訪れる人々の心を非日常の神域へと誘う。古代のシャーマンは、忘我のトランス状態の中ではなく、日々の真摯な奉仕という、静かな尊厳の中に今も生き続けているのである。巫女の霊力は消滅したのではない。それは、現代という時代に合わせて、その発現形態を変化させたのだ。

《ま~も》の心霊知識