真霊論-哲学

哲学

哲学とは、世の中のさまざまな物事について、その根本的な原理や真理を追い求める学問の一分野だ。

ただ、哲学はほかの多くの学問とは決定的に異なる点がある。その名称だけでは、いったい何を研究する学問なのかが、まったく見えてこないのだ。

たとえば「経済学」と聞けば経済の研究だとすぐわかる。「英文学」も「生物学」も「経営学」も同様だ。比較的新しい「マンガ学」や「マス・コミュニケーション学」でさえ、その原則を踏んでいる。ところが哲学だけは、研究の主題が霞のように曖昧で、つかみどころがない。

かといって「臨床心理学」のように、方法論から名前が生まれた学問でもない。哲学の方法論には、これといった共通項が見当たらないのだ。

日常の中でふと感じた疑問を、既存の常識や先入観にとらわれず、自由に、思うままに考え続けること——それが哲学の本質だ。

「生きるとはなんなのか?」「世界とはなんなのか?」「幸福とはどういうことなのか?」——根本的すぎて、ときには子どもっぽくさえ感じられるような問いを、疎かにせず、丁寧に突き詰めようとする態度。それこそが哲学の核心だといえる。

哲学を規定するのは、研究対象ではなく、探求に向かうときの「姿勢」だけなのだ。哲学は概念的な思考を必要とする「知の学問」であり、同時に、問い続けることそのものを尊ぶ学問でもある。

「哲学」という言葉の誕生——西周が開いた扉

「哲学」という言葉は、明治時代初期に哲学者・西周(にし・あまね)が、英語の「philosophy」の訳語として生み出した造語だ。

島根県津和野出身の西は、藩校で儒学を修めたのち江戸へ出てオランダ語・英語を習得し、幕府の蕃書調所で教鞭を執った。1862年から1865年にかけてはオランダへ留学し、西洋哲学・法学・経済学を本場で学ぶという稀有な経験を積んだ人物だ。帰国後は明六社の活動を通じて西洋思想の普及に貢献し、のちに元老院議官・貴族院勅選議員を歴任した、明治日本の知的基盤を支えた啓蒙思想家の一人である。

この学問はそれ以前、江戸時代には「窮理学」、明治維新後しばらくは「理学」などと呼ばれていた。西が「哲学」という言葉をはじめて使ったのは、1874年の著作『百一新論』のなかでのことだった。当時、西は政府内でも有数の影響力を持つ知的指導者であり、その造語はほどなく文部省に採用され、広く定着していった。

西はそのほかにも「主観」「客観」「概念」「命題」「帰納」「演繹」「理性」「現象」「否定」「観念」など、哲学に関わる数多くの用語を日本語に翻訳・紹介したことで知られている。私たちが何気なく使っているこれらの言葉が、ほとんど一人の人物の手によって日本語に移植されたという事実は、少し驚異的ですらある。

「哲学」の語源——知を愛するということ

訳出の元となった「philosophy」は、古代ギリシャ語の「φιλοσοφία」(ピロソピア)に由来する。「φιλος(愛)」と「σοφία(知恵)」が結びついた言葉で、「知を愛する」という意味だ。

もともとは現在でいう哲学だけに限らず、学問全般を指す言葉だった。科学がまだ未発達で、知の世界が分化しきっていなかった時代——自然科学も含むあらゆる探求が、純粋な「知を求める行為」として一つの場所に収まっていたのだ。

知を愛する学問だと捉え直すと、冒頭で述べた「哲学の曖昧さ」が、むしろ自然に感じられてくる。特定の対象を持たず、「知ることへの欲求そのものを突き詰める」学問——それが哲学なのだから。

欧米諸語では、この言葉の音をそのまま写して対応する語を作ってきた。イタリア語の「filosofia」、フランス語の「philosophie」、ドイツ語の「Philosophie」、ロシア語の「философия」などがそれにあたる。一方、中国では日本語の「哲学」をそのまま輸入して使っているのも興味深い事実だ。

現代の日本では「人生観」のような意味に転じて「哲学」という語が使われる場面も少なくない。「あの監督には独自の哲学がある」といった使い方だ。これは学問としての哲学とはかなり異なる用法だが、経験や試行錯誤から導き出された思想という意味では「人生哲学」として一種の哲学的態度だとも言える。ただ混乱を招きやすい用法ではあるため、「哲学」の文字を目にしたときはその文脈をよく確認したい。

哲学の歴史と、その扱う対象

哲学の発祥は、紀元前7世紀ごろの古代ギリシャとされている。

はじめ、哲学が向かった先は「自然」だった。雨が降り、風が吹き、季節が巡る——なぜそうなるのかを、神話や呪術の力を借りずに考えようとすること自体が、当時としては革命的な試みだったのだ。

現代的な哲学の礎が築かれたのは、ソクラテスが登場してからだ。ソクラテスと、その弟子プラトン、孫弟子アリストテレスらは、探求の矛先を自然から「人間」へと向け直した。「よく生きる」という問いに代表されるように、よい人生とは何か、そのために何をすべきかを問い続けるようになった。現在「哲学」という言葉が想起させる問いは、多くの場合この系譜に属している。

その後、キリスト教が強大な力を持った中世ヨーロッパでは「神」が哲学の中心的な問いとなった。しかしその時代が過ぎると、再びソクラテスへ立ち返るように「人間とは何か」という問いが前景へと戻ってきた。

哲学史上で名高い、合理論(人間は理性的認識によって真理を把握できるとする立場)と経験論(人間は経験を超えた事柄については認識できないとする立場)の対立が激しく火花を散らしたのも、まさにこの時代のことだ。

やがて近現代に入り、先進諸国の経済が安定し高度な文明が花開くと、「よく生きること」の意味を問うよりもっと深いところで、「そもそも自分はここにいるのか」「存在するとはどういうことか」という問いが浮上した。実存主義の台頭だ。

このように、哲学が扱う対象はその歴史の中で一度も統一されたことがない。逆にいえば、そこに疑問さえあれば、世の中のいかなる事象であっても哲学の俎上に載りうる、ということだ。

ヨーロッパとはまったく独立した形で、古代インドでもインド哲学が深く発展していたことが、それを如実に物語っている。人間が存在し、文化が生まれるところには、必ず哲学が芽吹くのだ。

なお、哲学の最初期の研究対象だった「自然」は、現在では哲学の題材となることはほとんどない。科学の発展によって自然現象に論理的な説明がつくようになったからだ。すでに万人が納得する答えの出た問いは、もはや哲学にはならない。言い換えれば、哲学とはいまだ「解かれていない問い」の宝庫なのだ。

哲学と自然科学——アプローチの根本的な違い

「時間」の概念は、人間の文化に深く根ざしているという意味で哲学の格好の題材でもあり、同時に物理学の研究対象でもある。同じ「時間」を扱いながら、その迫り方はまったく異なる。

自然科学は実験を積み重ね、得られたデータから結論を導く。「実際にどうであるか」を突き止めようとする営みだ。一方、哲学はデータが取れない領域、客観的な説明がつかない領域について自由に思索する。物理学者が哲学的な時間論を自分の研究に援用することはまずないが、哲学者が必要に応じて数式を借りてくることはある。これが両者のスタンスの差からくるものだ。

哲学は、データの届かない場所に光を当てようとする——懐が深く、ある意味で無謀なほど自由な学問だともいえる。

哲学と宗教——切り離せない二つの問い

神の存在について考えるという点で、哲学と宗教を厳密に区別することはひどく難しい。人知を超えた存在に思いを馳せること自体、それはすでに哲学的な態度なのだから。

信仰はそれ自体が「よりよく生きる」ためになされるものであり、信仰を徹底的に突き詰めていくと、必ずそこに哲学的思索が姿を現す。

たとえば決定論——「あらゆる出来事は、先行する出来事のみによって決定している」とする考え方——は、宗教的な背景と深く結びついており、多くの哲学者がキリスト教の教義を引きながらこれを論じてきた。

古代インド哲学にいたっては、哲学と宗教を区別しようという発想自体がなかった。宗教家たちは哲学的な対話を積み重ねることで、信仰への理解をより深めていったのである。哲学と宗教は類似するどころか、根の部分でひとつに絡み合っている概念だといってよいだろう。

哲学の分類法

対象があまりにも広いがゆえに、哲学の分類の仕方も実に多岐にわたる。以下にその一例を挙げてみよう。

▼学派からの分類:古代ギリシア哲学、自然主義、形而上学、イギリス経験論、ドイツ観念論、超越論的哲学、現象学、唯名論、大陸合理主義、実存主義、構造主義、プラグマティズム、新カント派……

▼立場からの分類:存在論、実在論、観念論、決定論、宿命論、機械論、二元論、一元論、懐疑主義、独我論、相対主義……

▼地域からの分類:大陸哲学、アメリカ哲学、インド哲学、日本哲学、西洋哲学、東洋哲学……

▼主題による分類:科学哲学、論理学の哲学、言語哲学、倫理学、分析哲学、数学の哲学、法哲学、心身問題の哲学、政治哲学、戦争哲学、歴史哲学、生命倫理学……

これら各分野を個別に詳述していけば、優に一冊の本になる。繰り返すように、哲学はその領域があまりにも広い。一つの記事の中ですべてを系統だてて語ることはそもそも不可能なのだ。関心のある分野については、ぜひそれぞれ深く学んでみてほしい。

「哲学」と「思想」の違い

哲学と似た言葉に「思想」がある。この二つはしばしば混同される。哲学者が思想家と呼ばれたり、その逆もよくある。

たしかに、知について論じるという点では共通している。日常会話ではそれほど厳密に区別する必要もないかもしれない。

しかし「哲学史」と「思想史」は明確に異なる。哲学史が哲学者だけを扱うのに対し、思想史は政治家や経営者のように社会に大きな影響を与えた人物も含む——そこにヒントがある。

哲学者の永井均はこの区別をこう定義している。「哲学は学問として『よい思考』をもたらす方法を考えるのに対し、思想はさまざまな物事が『かくあれかし』とする主張である」。この一文は、両者の本質的な違いを鮮やかに切り出している。

哲学の現状——問い続けることの価値

哲学はきわめて抽象的な問いを扱う学問だ。言い換えれば、すぐには役に立たない、非生産的ともいえる学問だ。

学問の本義から見れば、知的欲求を純粋に追い求める哲学の姿勢こそが、最も学問らしいものかもしれない。しかし現実の大学では研究費の予算に限りがあり、哲学研究は長らく厳しい立場に置かれてきた。

哲学における論争は、科学によって解決されないかぎり永遠に決着がつかない。抽象的な議論が結論のないまま延々と続くことに、貴重な研究費を使うことへの批判も根強い。大学が企業就職へのプロセスとしての性格を強める昨今、哲学を取り巻く状況はますます厳しくなっている。

だがそうであるからこそ、真の哲学的態度が求められる。些細な疑問をうやむやにせず、批判にひるまず真理へ近づこうとすること——それが哲学だ。今あえて哲学を学ぼうとする者は、その行為自体がすでに哲学的な態度なのかもしれない。

哲学-解説②

哲学とは、ギリシャ語の「philosophia」の語源から見ると、「philos(愛)+sophia(知恵・叡智)」——つまり「知恵を愛し、希求する」という行為そのものだ。

一般には「物事の根本原理を究める学問」とされるが、じつはこの「哲学とは何か?」という問いそのものが、すでに一つの哲学的命題となっており、古来多くの論者がさまざまな答えを示してきた。

間違いなく言えることがあるとすれば、哲学は「世界観の創出活動」だということだろう。

宗教との違いも、この「世界観」という視点から考えるとわかりやすくなる。宗教とは、創始者・開祖が打ち立てた「ある世界観を信仰する行為」だ。対して哲学は、既成の世界観を受け入れるのではなく「自分なりの世界観を自分の力で創り上げる知的活動」だといえる。

哲学においても先人が構築した世界観を学んだり、賛同したりすることはもちろんある。だが究極的には、自分自身の問いに自分の言葉で答えること——それが哲学の目指すところだ。

「自分の存在意義とは何か」「生きることの目的はどこにあるか」「人生とは何か」——誰もが心のどこかで一度はこうした問いに向き合ったことがあるはずだ。それらに対して自分なりの回答を探し、ある種の世界観を提示していく営みが、哲学なのである。

なぜ哲学書は難しいのか

哲学書を開いてみて、見慣れない言葉が次々と並んでいると感じた人は多いだろう。その理由として、大きく二つのことが考えられる。

一つは、かつて古代ギリシャにおいて哲学が科学をも含むあらゆる学問の基盤だったため、客観的で厳密な表現が求められてきた歴史的経緯だ。概念の精度を少しでも上げようとした結果、専門用語が積み重なっていった。

もう一つは、哲学が人間の思考やイメージを言葉で表現しようとする学問である以上、語り手によっては非常に複雑で抽象的な表現が避けられない、ということだ。形のないものを言葉という形に落とし込む作業は、それ自体が一種の格闘なのだ。

哲学において主に扱われる主題としては、真理、本質、同一性、普遍性、数学的命題、論理、言語、知識、観念、行為、経験、世界、空間、時間、歴史、現象、人間一般、理性、存在、自由、因果性、世界の起源のような根源的な原因、正義、善、美、意識、精神、自我、他我、神、霊魂などが挙げられる。

哲学の祖師、ソクラテス

古代ギリシャで生まれた哲学が、現代まで連綿とその流れを受け継いでいるのは、ソクラテス、プラトン、アリストテレスという三人の巨人たちの存在があったからだ。現代の科学から見ても驚くほど洗練された思考・論理体系を、彼らは遥か古代において示した。

ここでは、各哲人の詳細は別所に譲りつつ、ソクラテスのエッセンスだけを筆者なりの視点から記しておきたい。

●ソクラテス(BC469年頃 - BC399年4月27日)

「神のみぞ知る」という言葉、「倫理学」(人はいかに生きるべきかを探求する)、カウンセリングの素地となった「問答法」——これらすべての生みの親だ。

「はかない人間ごときが世界の根源・究極性を知ることなどできない。それを知るのは神々だけだ」——そういう謙虚な認識がソクラテスの底流にある。だからといって真理の探求を諦めよということではない。「探求するなら、まず謙虚たれ」と彼は問い続けたのだ。

●「無知の知」

ソクラテスはデルフォイのアポロン神殿の巫女から「ソクラテスに勝る賢者はいない」という神託を受けた。「そんなはずはない」と思った彼は、世に賢者と呼ばれる人々に次々と会いに行く。ところが対話を重ねるほどに見えてきたのは、多くの賢者が「真・善・美・徳」について、「知らないのに知ったつもりでいる(=知らないということさえ知らない)」という事実だった。

一方、ソクラテス自身は「まだ知らないということを知っている」とした。これが「無知の知」だ。この一点において、自分に勝る賢者はいないと、ソクラテスは神託の正しさを静かに確信したという。

●問答法

ソクラテスは弟子たちとだけでなく、街へ出かけて市井の人々とも「問答」によって対話を続け、その哲学を広めることに生涯を費やした。そのため、自身の著作物は一切残っていない。

「問答」とは、自分の意見を一方的に押しつけることではない。相手の言葉をしっかり聞き、その矛盾を指摘し、互いの誤解や不理解を解きほぐしながら、共有できる結論へと共に歩むことだ。このソクラテスの問答法は、現代のカウンセリングのベースにもなっている。

●ソクラテスの「魂」

ソクラテスが重視したのは「魂」を高めることだった。彼にとって魂とは肉体と不可分のもの、「命」そのものでもあった。「己を知り」「真・善・美」を探求し「徳を積む」ことで魂は高められる——それが彼の確信だった。

しかしこの思想は、当時の政治家たちには受け入れがたいものだったようだ。70歳に近づいたころ(BC399年)、「ギリシア古来の神々を冒涜し、自らの神を作り出した。そして若者たちを誤った方向に導いた」という罪状で裁判にかけられた。

●ソクラテスの弁明

その裁判においてもソクラテスは臆することなく自説を述べた。それが後に「ソクラテスの弁明」として伝えられることになる言葉だ。

「ソクラテスの弁明」
「世にもすぐれた人よ、君は、アテナイという、知力においても武力においても最も評判の高い偉大な国家の人でありながら、ただ金銭をできるだけ多く自分のものにしたいということばかりに気を使っていて、恥ずかしくはないのか。評判や地位のことは気にしても思慮や真実のことは気にかけず、魂(いのち)をできるだけすぐれたものにするということに気も使わず心配もしていないとは。」

(田中美知太郎編 世界の名著6 プラトンⅠ中央公論社 ソクラテスの弁明より抜粋)

この言葉はあまりに純粋で、堕落した政治家の心にはナイフのように刺さったのだろう。真意が届くことはなく、ソクラテスには「死刑」が宣告された。「他人を律するより先に、まず自らを正せ」——その言葉を残し、ソクラテスは潔く毒杯を仰いでその生涯を閉じた。

スピリチュアリズムの祖師プラトンとイデア

●プラトン(BC427年 - BC347年)

ソクラテスの弟子だったプラトンは、哲学における巨星の一人であると同時に、スピリチュアリズムの源流に位置する思想家ともいえる存在だ。

プラトンが説いたのは、「この世の目に見える世界は虚像に過ぎず、目に見えない世界である『イデア』こそが実像・実相だ」という、驚くほど現代的な着想だった。

●プラトンの「魂」

若き日のプラトンは政治家を志したこともあった。しかし師ソクラテスの死刑は、プラトンにとって「政治家への完全な絶望」だった。その痛みが彼を、ソクラテスが重視した「魂」の探求へと深く向かわせていく。

もしソクラテスの死刑がなければ、神秘主義者プラトンは生まれなかったかもしれない——そう思わずにはいられない。魂を深く掘り下げた結果、プラトンは「魂は永遠であり、輪廻転生を繰り返す」という結論に辿り着いた。これはご存知のとおり、現代のスピリチュアリズムの大前提となっている概念だ。

以下がプラトンの考えた「魂」の姿だ。

「プラトンの魂」

我々の魂は、かつて天上の世界にいてイデアだけを見て暮らしていたのだが、その汚れのために地上へと追放され、肉体(ソーマ)という牢獄(セーマ)に押し込められてしまった。そして地上へ降りる途中で忘却(レテ)の河を渡ったため、かつて見ていたイデアをほとんど忘れてしまった。だが、この世界でイデアの模像である個物を目にすると、忘れかけていたイデアをおぼろげながらに思い出す。眼を外界ではなく魂の内側へと向け直し、かつて見ていたイデアを想起するとき、はじめて物事をその原型に即して真に認識できる——プラトンはそう考えたのだ。

●プラトンとイデア

人間の真の実体は「見えざる魂」にあるとしたプラトンは、あらゆる物事の背景に「見えざる世界」が潜んでいると考え、それを「イデア界」と呼んだ。

現代のスピリチュアル用語で説明するなら、「イデア」とは——魂を含むすべての霊的エネルギー、気やプラーナと呼ばれる生命・宇宙に満ちるエネルギー、そして人間においては運命や宿命と呼ばれるあらゆる事象を方向づけるエネルギーの総称——と捉えることができるだろう。

プラトンは「哲学(philosophia=愛知)」を「死の練習」と表現した。そして真の哲学者とは、「できる限りその魂を身体から分離・解放し、魂が純粋に魂自体においてあるように努力する者」だと定義したのだ。その言葉は2400年以上の時を経た今も、ぞっとするほどリアルに響く。

参考ホームページ・文献等

国立国会図書館 - 近代日本人の肖像(西周):https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/309

津和野町 - 西周旧居の紹介:https://www.town.tsuwano.lg.jp/www/co...

日本哲学会 - 概要と活動:https://philosophy-japan.org/

日本科学哲学会 - 科学哲学の研究:https://pssj.info/

日本印度学仏教学会 - 印度学仏教学研究:https://www.jaibs.jp/

東京大学文学部 - 哲学研究室の案内:https://www.l.u-tokyo.ac.jp/laboratory/da...

京都大学大学院文学研究科 - 哲学研究室:https://www.philosophy.bun.kyoto-u.ac.jp/

東北大学大学院文学研究科 - 哲学・倫理学:https://www2.sal.tohoku.ac.jp/philosop...

大阪大学大学院人文学研究科 - 哲学哲学史:https://www.let.osaka-u.ac.jp/philosop...

名古屋大学人文学研究科 - 哲学研究室:https://phil.hum.nagoya-u.ac.jp/

筑波大学大学院 - 哲学・思想研究:https://www.hass.tsukuba.ac.jp/program...

科学基礎論学会 - 基礎論研究:https://phsc.jp/

実存思想協会 - 実存思想の探求:https://jitsuzon.org/

日本倫理学会 - 倫理学研究の推進:https://nitirin.org/

日本宗教学会 - 宗教学の展開:http://jpars.org/

宗教哲学会 - 宗教哲学の探求:http://sprj.org/

比較思想学会 - 比較思想研究:http://www.jacp.org/

コトバンク - 実存主義の定義と歴史:https://kotobank.jp/word/%E5%AE%9F%E5...

文化庁 - 宗教統計調査結果の概要:https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_...

J-STAGE - 日本哲学会機関誌「哲学」:https://www.jstage.jst.go.jp/browse/ph...

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