真霊論-臨死体験

臨死体験

【目次】
序論:死の淵から垣間見る世界
臨死体験の核心的現象
ムーディ博士が提唱する「臨死体験の諸段階」
オカルト・霊的視点からの探求
科学的視点からの挑戦
科学的説明の限界と「パム・レイノルズ」の事例
日本における臨死体験の特質
臨死体験がもたらす人格の変容
結論:意識と死生観の再構築
参照元

序論:死の淵から垣間見る世界

臨死体験(Near-Death Experience, NDE)とは、事故や病気などによって心停止や呼吸停止といった臨床的な死の状態に陥った人間が、蘇生後に報告する一連の主観的な体験を指すのである。その内容は、肉体を離れて自らを俯瞰する「体外離脱」、暗いトンネルを抜けた先で眩い光と遭遇する体験、亡くなった親族との再会など、極めて神秘的かつ超越的な要素を帯びているのが特徴だ。

古くはプラトンの『国家』に記された「エルの物語」をはじめ、人類の歴史を通じて、死の淵から生還した者が語る不可思議な体験の記録は散見されてきた。しかし、それが単なる奇譚や宗教的説話の域を超え、学術的な研究対象として注目されるようになったのは、20世紀後半以降のことである。心肺蘇生術をはじめとする医療技術の飛躍的な進歩が、かつては確実に死に至っていた人々を「此岸」へと呼び戻すことを可能にした。その結果、臨死体験の報告例は爆発的に増加し、この現象は無視できない研究領域として立ち現れたのだ。

現代において、臨死体験は二つの対立する視点から激しい論争の的となっている。一つは、これを「魂の存在」や「死後の生命」を証明する霊的・超越的な出来事と捉える立場である。もう一方は、脳の酸欠状態や神経伝達物質の異常分泌によって引き起こされる単なる幻覚、すなわち「脳内現象」に過ぎないと断じる科学的・唯物論的な立場だ。

興味深いのは、臨死体験という現象そのものが、皮肉にも唯物論的科学の発展によって前景化されたという事実である。生命を救うための医療技術が、結果としてその科学的パラダイムの根幹、すなわち「意識は脳の産物である」という前提を揺るがすデータを大量に生み出している。この深遠なるパラドックスこそが、臨死体験研究の核心に横たわる緊張感の源泉なのである。本稿では、この神秘的な現象を多角的に検証し、オカルトと科学、主観と客観の狭間に浮かび上がる「意識」の本質に迫ることを目的とする。

臨死体験の核心的現象

臨死体験の報告は、体験者の年齢、性別、人種、宗教的背景、あるいは体験に関する事前の知識の有無にかかわらず、驚くべき普遍性を示すことが知られている。この文化や信条を超えた共通性こそが、臨死体験を単なる個人的な幻想として片付けることを困難にしている最大の要因である。研究者たちは、これらの共通する体験内容を「コア体験(Core Experience)」と呼び、現象の客観性を担保する重要な指標と見なしているのだ。

コア体験を構成する要素は多岐にわたるが、特に頻繁に報告されるものを以下に整理する。

要素 詳細な説明 関連する感覚・感情
平和・安らぎの感覚 事故や病気による肉体的な苦痛が完全に消失し、言葉では表現しがたいほどの深い安らぎ、幸福感、静寂に包まれる。 苦痛からの解放、至福感、悦惚感、平穏
体外離脱体験(OBE) 意識が肉体から抜け出し、天井付近などの上方から、ベッドに横たわる自身の身体や、周囲で行われている蘇生措置などを客観的に眺める。 浮遊感、驚き、冷静さ、感情的な離脱
トンネル体験 暗く長いトンネルや筒状の空間を、しばしば高速で通過する感覚を体験する。このトンネルの先に、通常は光が見える。 高速移動の感覚、期待感、移行の感覚
光との遭遇 トンネルを抜けた先で、非常に明るく、温かく、そして愛情に満ちた「光の存在」と出会う。この光は、人格的な知性を備えていると感じられることが多い。 無条件の愛、受容、畏敬の念、安心感
ライフレビュー(人生回顧) 自身の人生における出来事が、誕生から臨死の瞬間に至るまで、パノラマのように、あるいは走馬灯のように一瞬で再現される。 自己評価、後悔、喜び、他者への影響の認識

これらの現象は、必ずしも全ての体験者によって経験されるわけではなく、またその順番も一定ではない。しかし、これらの要素が世界中の多様な報告の中に繰り返し現れるという事実は、臨死体験が個人の想像力の産物ではなく、人間の意識の深層に関わる普遍的な構造を持つ現象であることを強く示唆しているのである。特に、体外離脱中に知覚した内容が、後に客観的な事実と一致したという報告(Veridical Perception)は、この体験が単なる脳内現象であるという説明に重大な疑問を投げかけている。

ムーディ博士が提唱する「臨死体験の諸段階」

「臨死体験(Near-Death Experience)」という言葉を世に広め、この分野の研究の礎を築いたのは、米国の精神科医レイモンド・A・ムーディ・ジュニア博士である。彼は1975年に出版した著書『かいまみた死後の世界(Life After Life)』の中で、多数の体験者の証言を収集・分析し、そこに共通して見られる約15の構成要素を体系的に提示した。ムーディ博士のこの業績は、それまでオカルトや超常現象として扱われがちだった体験に学術的な枠組みを与え、本格的な研究の道を開いた点で画期的であった。

ムーディ博士が特定した構成要素は、臨死体験の典型的な旅路を構成する「地図」のようなものである。彼は、全ての体験者がこれらの要素を全て経験するわけでも、同じ順序で経験するわけでもないことを強調しつつも、このモデルが現象を理解するための有効な枠組みを提供するとした。

段階/要素 説明
1. 体験内容の表現不可能性 体験した出来事が日常的な言語の範疇を超えており、言葉で表現することが極めて困難であると感じる。
2. 死の宣告を聞く 医師などが自分の死を宣告するのを、体外離脱した状態などで客観的に聞く。
3. 心の安らぎと静けさ 身体的な苦痛が消え、至福ともいえるほどの平和で穏やかな感覚に満たされる。
4. 騒音 しばしば不快な、ブーンという音やクリック音、ベルの音などを聞く。
5. 暗いトンネル 暗闇の空間、洞窟、あるいはトンネルの中を高速で引き込まれるように進んでいく。
6. 体外離脱 自分の肉体から意識が離れ、外部の視点から自分の身体や周囲の状況を観察する。
7. 他者との出会い すでに亡くなっている親族や友人、あるいは霊的な存在に出会う。
8. 光の存在 温かさ、愛、知性に満ちた、人格を持つ眩い光の存在と遭遇する。
9. 人生回顧(ライフレビュー) 自分の人生の出来事が、善悪の判断を伴う形で、瞬時にパノラマのように再現される。
10. 境界線 これ以上進むと現世に戻れなくなる「境界」や「川」、「門」のようなものに到達する。
11. 生還 自らの意思、あるいは他者からの指示によって、肉体へと引き戻される。
12. 他者への口外の躊躇 体験の非日常性ゆえに、他人に話しても信じてもらえない、あるいは精神異常だと思われるのではないかと恐れる。
13. 人生への影響 体験後、死への恐怖が薄れ、人生をより深く愛し、他者への思いやりが増すなど、価値観が大きく変容する。
14. 死生観の変化 死は終わりではなく、生命の一つの移行プロセスであるという確信を抱くようになる。
15. 体験の裏付け 体外離脱中に見聞きした出来事が、後に客観的な事実として確認されることがある。

ムーディ博士のモデルは、臨死体験が混沌とした幻覚ではなく、一定の構造と秩序を持った体験であることを明らかにした。特に、体験後の人生観の劇的な変化(12〜14)を現象の重要な一部として組み込んだ点は重要である。これは、臨死体験が単なる一過性の出来事ではなく、その人の存在の根幹を揺るがし、再構築するほどの力を持つことを示しているからだ。

オカルト・霊的視点からの探求

オカルト(隠された知)やスピリチュアリズム(心霊主義)の文脈において、臨死体験は古くから「意識の死後存続」を裏付ける最も強力な証拠の一つとして重視されてきた。この視点では、臨死体験は脳が見せる幻覚などではなく、人間の本質である魂(あるいは霊、意識体)が、肉体という物理的な束縛から一時的に解放され、非物質的な世界、すなわち霊界を垣間見るリアルな体験であると解釈される。

この解釈によれば、体外離脱は、魂が肉体から文字通り「離脱」する現象そのものである。体験者が報告する、天井から自らの身体を見下ろすという構図は、魂が物理法則に縛られない存在であることを示している。そして、暗いトンネルを抜けるプロセスは、物質次元(此岸)から霊的次元(彼岸)へと移行する際の過渡的な状態であり、その先で出会う「光の存在」は、神や宇宙の根源的意識、あるいは高次の霊的存在と見なされる。この光が放つ無条件の愛と受容の感覚は、人間存在の究極的な故郷への帰還を示唆するものだとされるのだ。

また、亡くなった親族や友人との再会は、霊界における魂の連続性を証明する重要な要素である。彼らはしばしば「お迎え」として現れ、体験者を導き、慰め、そして時には「まだ来る時ではない」と現世に送り返す役割を担う。これは、死が決して孤独な消滅ではなく、愛する者たちとの絆が続く、次なるステージへの移行であることを物語っている。

特筆すべきは、臨死体験が特定の宗教の教義を必ずしも補強しないという点である。キリスト教徒がイエスに、仏教徒が阿弥陀仏に出会うといった文化依存的な報告もある一方で、多くの体験者は、特定の宗教宗派から離れ、より普遍的で個人的なスピリチュアリティ(霊性)へと傾倒する傾向が強い。彼らは「宗教的」であるよりも「霊的」になる、と表現される。これは、臨死体験が指し示す霊的リアリティが、既存の宗教が後から構築した教義体系よりも、さらに根源的で原初的なものである可能性を示唆している。つまり、臨死体験は特定の「天国」や「極楽浄土」を証明するのではなく、愛と知性という普遍的な原理に基づいた、より広大な意識の次元の存在を暗示しているのである。この視点に立てば、人生の目的は物質的な成功ではなく、魂の成長と愛を学ぶことにあり、死はその学びの旅における一つの通過点に過ぎない、ということになる。

科学的視点からの挑戦

臨死体験の神秘的な性質に対し、現代の主流科学、特に脳神経科学や心理学は、それをあくまで脳内で完結する生理学的な現象として説明しようと試みてきた。この還元主義的なアプローチは、意識が脳の物理的・化学的活動の副産物であるという唯物論的な世界観を前提としており、臨死体験を超自然的なものではなく、極限状態に陥った脳が生み出す「幻覚」の一種と見なす。

脳神経科学的アプローチ

脳神経科学的な仮説は、臨死体験の各要素を特定の脳の状態と関連付けようとする。

脳内酸欠(アノキシア)および二酸化炭素過剰(ハイパーカプニア)説 : 心停止などにより脳への血流が途絶えると、脳は深刻な酸素不足に陥る。この状態が、トンネル視(視野が中心部から狭まっていく現象)や幸福感、幻覚などを引き起こすという説である。しかし、臨死体験は脳機能がむしろ亢進したような明晰な意識状態で報告されることが多く、単なる機能低下では説明がつかないという反論がある。

側頭頭頂接合部(TPJ)の異常活動説 : 体外離脱体験(OBE)は、自己の身体感覚や空間認識を統合する役割を持つ「側頭頭頂接合部」という脳領域の異常な活動によって説明できるとされる。スイスの脳神経外科医オラフ・ブランケが、てんかん患者のこの部位を電気刺激したところ、OBEに酷似した体験が誘発されたという報告は有名である。これは、OBEが特定の脳部位の活動によって引き起こされる再現性のある現象であることを示唆する。

ガンマ波サージ説 : 近年の研究で、心停止直後のラットや人間の脳において、「ガンマ波」と呼ばれる高周波の脳波が一時的に急増することが確認された。ガンマ波は、知覚や意識の統合に関与すると考えられており、この死の直前の脳の爆発的な活動が、人生回顧(ライフレビュー)のような鮮明で高次の意識体験を生み出しているのではないかと推測されている。

心理学的・生理学的仮説

心理学的なモデルは、臨死体験を精神的な防衛機制や認知の歪みとして説明する。

離人症(ディパーソナライゼーション)説 : 死という耐え難い恐怖に直面した際、精神がその衝撃から自らを守るために、現実感を喪失させ、まるで他人事のように状況を客観視する「離人症」的な状態に陥るという説。体外離脱は、この心理的な防衛機制の現れだとされる。

エンドルフィン分泌説 : 極度のストレスや身体的損傷に反応して、脳内ではエンドルフィンなどの内因性オピオイド(脳内麻薬)が分泌される。これが痛みを和らげ、多幸感や恍惚感をもたらすため、臨死体験における平和や安らぎの感覚の原因ではないかと考えられている。

期待説 : 天国や死後の世界に関する文化的なイメージや個人的な期待が、幻覚の内容を形成するという説。しかし、臨死体験に関する事前の知識がなかった人々も典型的な体験を報告しており、この説だけでは説明できない事例が多い。

これらの科学的仮説は、臨死体験の個々の要素(例えば、OBEや幸福感)に対しては一定の説明力を持ちうる。しかし、それらが統合された、首尾一貫した物語として体験されることや、後述する客観的な事実確認が可能な事例の存在を説明するには、未だ多くの課題を残しているのが現状である。

科学的説明の限界と「パム・レイノルズ」の事例

前述の科学的仮説は、臨死体験の断片を説明する上で魅力的ではあるが、現象の全体像、特にその核心的な謎を解明するには至っていない。最大の壁は、「脳機能が著しく低下、あるいは完全に停止していると医学的に判断される状況下で、なぜ明晰で構造化された意識体験が可能のか」という問いである。この問いに、従来の唯物論的な脳科学は有効な答えを提示できずにいる。

この科学的説明の限界を最も象徴的に示すのが、1991年に米国で記録された「パム・レイノルズの事例」である。彼女の体験は、臨死体験研究の歴史において、最も詳細な医学的データと共に記録されたケースとして知られ、唯物論的脳科学に対する深刻な挑戦状となっている。

当時34歳だったパムは、脳幹に巨大な動脈瘤を患い、極めて難易度の高い手術を受けることになった。その手術は「低体温循環停止法」と呼ばれる特殊な手法で行われた。具体的には、彼女の体温は摂氏15度まで冷却され、心臓は完全に停止させられた。脳への血流は止められ、脳から血液が抜き取られた結果、彼女の脳波は平坦(フラットライン)となり、脳幹の機能も停止したことが確認された。医学的に言えば、彼女は一時的に「脳死」状態に置かれたのである。

この脳機能が完全に停止していた時間帯に、パムは驚くほど鮮明な臨死体験をした。彼女の意識は体外離脱し、手術室の様子を克明に観察していた。彼女は、執刀医が使用していた骨を切るための「骨のこ」が、まるで電動歯ブラシのような形と音をしていたこと、看護師が「彼女の動脈と静脈は細すぎる」と話していたこと、そして手術中にイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」が流れていたことなどを、蘇生後に正確に報告した。これらの詳細は、彼女が麻酔で意識を失い、さらに脳機能が完全に停止していたはずの時間に起きた出来事であり、術後に本人によって確認され、その正確性が証明された。

パム・レイノルズの事例が持つ意味は決定的である。これは、主観的な体験談にとどまらず、客観的に検証可能なデータを含むからだ。脳波が平坦であり、聴覚を司る脳幹さえ機能していなかった状態で、彼女はいかにして手術室での会話や器具の詳細を知覚し得たのか。脳が意識の「発生源」であるとするならば、この現象は説明不可能である。

この一つの事例は、臨死体験をめぐる議論の力学を根本から変える力を持つ。それは、もはや臨死体験の信憑性を疑う側ではなく、それを既存の科学モデルで説明しようとする側に「立証責任」を移行させる。パム・レイノルズの体験は、我々が持つ「意識と脳の関係」についての常識的な見解に、根源的な再考を迫る「ブラック・スワン(ありえないと思われていたが、現実に存在する事象)」なのである。この事例は、脳が意識を生み出す「発電所」なのではなく、非局在的な意識を受信する「受信機」あるいは「変換器」のような役割を果たしているのではないか、という大胆な仮説の可能性を示唆している。

日本における臨死体験の特質

臨死体験の核心部分が世界共通である一方、その表層的なイメージや象徴は、体験者の文化的背景によって彩られることが知られている。日本人の臨死体験においても、欧米の報告とは異なる、独自の文化的特徴が見られる。

最も代表的なものが、「三途の川」と「お花畑」のイメージである。三途の川は、仏教思想における此岸と彼岸を隔てる川であり、死者が渡るべき場所とされる。日本の臨死体験者が、川の向こう岸から手招きする亡き親族を見るという報告は非常に多い。同様に、色とりどりの花が咲き乱れる美しい「お花畑」の光景も、極楽浄土のイメージと結びつき、頻繁に語られる特徴的な情景である。これらは、普遍的な「境界線」や「楽園的風景」というコア体験が、日本人の集合的無意識に根差した仏教的なシンボルを通して表現されたものと解釈できる。

こうした文化的特徴は、著名な体験者の報告にも見ることができる。例えば、彗星捜索家として知られる木内鶴彦氏は、複数回の臨死体験を通じて、宇宙の成り立ちや意識の本質に関する壮大なビジョンを見たと語っている。彼の体験は科学的な知見と結びついたユニークなものだが、その根底には生命の循環という東洋的な思想が流れている。また、カトリックの修道女であるシスター鈴木秀子氏は、階段からの転落事故による臨死体験で、蓮の花びらに包まれながら苦しみから解放され、絶対的な愛の光と一体になるという至福を味わったと報告している。この体験は彼女の信仰を深めると同時に、宗教の枠を超えた生命への感謝へと繋がった。

さらに、日本の思想界からは、臨死体験を独自に解釈する、より洗練された概念も生まれている。哲学者・古東哲明氏が提唱する「臨生体験」という概念がそれである。これは、臨死体験を単に「死に臨む」体験としてではなく、むしろ「生に臨む」体験として捉え直す視点だ。この解釈によれば、臨死体験の本質は、死後の世界を覗き見ることにあるのではない。それは、一度「死者の眼」を持つことで、つまり自我(エゴ)が完全に死滅することで、当たり前だと思っていたこの「生」そのものが、いかに奇跡的で驚きに満ちたものであるかを初めて知る体験なのだという。

この「臨生体験」という視点は、臨死体験を単なる「あの世への旅行譚」から、禅における「大死一番、絶後に甦る(一度完全に死に切ることで、真に甦る)」という悟りの境地や、古代ギリシャ哲学の「タウマゼイン(存在への驚愕)」へと接続させる。それは、死からの逃避ではなく、死を経由することによって可能になる、生へのラディカルな再関与を意味する。この深遠な解釈は、臨死体験が我々の生といかに深く結びついているかを示唆する、日本独自の知的貢献と言えるだろう。

臨死体験がもたらす人格の変容

臨死体験が研究者たちに強いインパクトを与える最大の理由の一つは、その体験がもたらす、永続的かつ profound(深遠)な人格の変容にある。体験者は、蘇生後、以前とは全く異なる価値観や人生観を抱くようになることが一貫して報告されている。この「アフターエフェクト」は、体験の原因(病気、事故など)や体験前の個人の信条とは無関係に見られ、現象の客観性と重要性を裏付ける強力な証拠となっている。

報告される変化のパターンは、驚くほど一貫している。

死への恐怖の消滅 : 最も顕著な変化は、死に対する恐怖心が劇的に減少、あるいは完全に消失することである。死は肉体の終わりではあっても、意識の終わりではないという強い確信が、体験を通じて得られる。彼らは死を恐れるのではなく、生命の自然なプロセスの一部として受け入れるようになる。

生への感謝と目的意識の増大 : 死の淵から生還したことで、生きていること自体への深い感謝の念が生まれる。人生は意味と目的に満ちているという感覚が強まり、一日一日を大切に生きようとする姿勢が顕著になる。

利他主義と共感性の向上 : 物質的な富や社会的地位、名声といった世俗的な価値観への関心が薄れる一方で、他者への愛や思いやり、共感性が著しく高まる。人生で最も重要なことは、他者との関係性の中に愛を育むことであると悟るのだ。

普遍的なスピリチュアリティへの傾倒 : 前述の通り、特定の宗教組織や教義への帰属意識は弱まり、より個人的で普遍的なスピリチュアリティ(霊性)を重視するようになる。神や超越的な存在を、教会の外、自らの内面や自然との繋がりの中に見出すようになる。

興味深いことに、恐怖や孤独感を伴う「ネガティブな臨死体験」をした人々でさえ、長期的にはポジティブな人生の変化を遂げることがある。その恐ろしい体験が、自らの生き方を見つめ直し、人生の軌道修正を行うための強力な動機付けとなるからだ。

このように、臨死体験が人の価値観を根底から覆し、ご依頼の通り、元の文章をHTML5の仕様に沿って整形しました。より肯定的で愛情深い方向へと再構築する力を持つという事実は、この体験が単なる意味のない幻覚や脳の誤作動であるという見方に、重大な疑義を呈する。それは、体験者の存在そのものを変容させるほどの「リアリティ」を持つ、極めて意味深い出来事なのである。

結論:意識と死生観の再構築

本稿では、臨死体験という現象を、その核心的な内容、歴史的背景、そしてオカルト的解釈と科学的解釈という両極の視点から多角的に考察してきた。その結果、明らかになるのは、この現象が単純な二元論では到底割り切れない、複雑で深遠な謎を我々に突きつけているという事実である。

科学的なアプローチは、体外離脱や多幸感といった個々の要素を、脳の特定部位の活動や神経化学的プロセスと関連付けることで、現象の脱神秘化を試みてきた。これらの研究は、意識体験と脳機能の相関関係を明らかにする上で重要な貢献をしている。しかし、パム・レイノルズの事例に代表されるように、脳機能が医学的に停止した状態で生じる、客観的に検証可能な意識体験の存在は、意識が脳の産物であるという唯物論的パラダイムそのものに根源的な問いを投げかける。現在の科学モデルは、この「不都合な真実」を説明する言葉を未だ持たない。

一方で、オカルト・霊的解釈は、臨死体験を魂の死後存続の証拠として捉え、人生の意味や目的についての深遠な洞察を提供する。しかし、その主張は客観的な検証が困難であり、信仰の領域を出るものではない。

結論として、臨死体験をめぐる議論において、どちらかの立場が完全に勝利を収めることはないだろう。むしろ、この現象の真の重要性は、両者の対立そのものにある。臨死体験は、科学とスピリチュアリティ、物質と意識、生と死という、人類が長らく探求してきた根源的なテーマが交差する、特異な結節点なのである。

我々が臨死体験から学ぶべき最も重要な教訓は、死後の世界の証明の有無ではない。それは、我々が自明のものとしている「意識」という存在が、我々の想像をはるかに超えた、未解明の広がりと深さを持っている可能性である。臨死体験は、意識を脳という頭蓋骨の中に閉じ込められた機能としてではなく、宇宙に遍在する、より根源的な実在の現れとして捉え直す視点への扉を開く。

最終的に、この死の淵からの報告が我々の「生」に投げかける光は計り知れない。それは、我々の人生が孤立した個人のものではなく、他者や宇宙全体と深く結びついたものであり、その目的が愛と思いやりを学び、表現することにあるという、力強いメッセージなのである。臨死体験の研究は、死の謎を探る旅であると同時に、我々が今ここでいかに生きるべきかを問い直す、最も深遠な哲学的探求でもあるのだ。

参照元

レイモンド・A・ムーディ Jr.『かいまみた死後の世界』:https://www.shinchosha.co.jp/book/115501/

ブルース・グレイソン『死後の世界』:https://www.hayakawa-online.co.jp/shopde...

国際臨死体験研究協会(IANDS)公式サイト:https://www.iands.org/

立花隆『臨死体験』:https://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_d...

ピム・ヴァン・ロンメル「心停止中の臨死体験」『ランセット』:https://www.thelancet.com/journals/lance...

マイケル・B・セイボム『「あの世」からの帰還』:https://www.nihon-kyobunsha.co.jp/shop/h...

木内鶴彦『「臨死体験」が教えてくれた宇宙の仕組み』:https://www.sunmark.co.jp/detail.php?csi...

シスター鈴木秀子『臨死体験 生命の響き』:https://www.daiwashobo.co.jp/book/b92452...

米科学アカデミー紀要「臨死体験と脳活動に関する研究」:https://www.pnas.org/doi/10.1073/pnas.22...

岩崎美香「臨死体験による一人称の死生観の変容 日本人の臨死体験事例から」:https://meiji.repo.nii.ac.jp/record/9966...

ケネス・リング『ライフ・アット・デス』:https://www.amazon.co.jp/Life-at-Death-S...

エベン・アレグザンダー『プルーフ・オブ・ヘブン』:https://www.hayakawa-online.co.jp/shopde...

パム・レイノルズの事例に関する医学的研究報告:https://www.near-death.com/science/evide...

古東哲明『他界からのまなざし』:https://www.kadokawa.co.jp/product/20070...

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