
「藁人形の呪い」と聞いて、多くの人がまず思い浮かべるのは、深夜の神社、白装束の女性、そして木に打ち込まれる五寸釘の音ではないだろうか。これから本稿では、この呪術にまつわる知識を、できるだけ深く、丁寧に紐解いていきたいと思う。しかし、その前に、どうしても伝えておきたいことがある。
ここに記されたどんな情報を手にしても、決して「藁人形による呪い」を実践しようとは思わないでほしい、ということだ。
科学がこれほどまでに発達した現代社会であっても、世界の片隅には、いまも呪術師と呼ばれる人々が静かに息づいている。ネガティブな力を扱うブラック・マジックも、ポジティブな力を扱うホワイト・マジックも、決して過去の遺物ではなく、いまこの瞬間も、どこかで実在しているのである。
これから紹介する「藁人形による呪い」は、多くの伝承の中でブラック・マジックの一種として語られてきた。そして、このブラック・マジックという力には、ひとつ厳格な法則がある。それは、どのような形で行使しようとも、必ず術者自身にしっぺ返しが訪れるという法則だ。ブラック・マジックをかけるという行為は、術者が自らの魂を「呪いを可能にするエネルギー的な存在」に委ねることを意味する。わかりやすく言ってしまえば、それは「悪魔に魂を売る」のと、ほとんど同じことなのである。だからこそ、これからどれほど興味深い話が出てきても、決してブラック・マジックを試みようとは思わないでいただきたい。
藁人形を用いて呪いをかける「藁人形の呪い」は、別名「丑の刻参り」とも呼ばれている。実はこの「丑の刻参り」、もともとは呪術ではなく、ごく純粋な「祈願行事」だったということをご存知だろうか。
舞台となったのは、京都・貴船神社である。貴船神社の祭神「高おかみ神」は、命の源である水を司る神として知られ、平安時代における貴船神社の社格は、もっとも高い格付けである「名神大社」だった。つまり平安時代の人々にとって、高おかみ神はそれだけ篤く崇敬の対象とされていたのである。
この神には、「丑の刻」――現代の時間に置き換えればおよそ午前一時から三時ごろ――に降臨されたという伝説が残されている。そこで人々は丑の刻にあわせて貴船神社へ詣で、高おかみ神に願いの成就を祈った。これこそが、本来の「丑の刻参り」の姿だったのである。誰かを呪うためではなく、誰かのために、あるいは自分自身の願いのために、深夜の静寂のなか神に祈りを捧げる――そんな、いまよりずっと信仰心に近い行為だったのだ。
それがなぜ、いつしか「呪いの儀式」として語られるようになったのか。その変遷を、ここから少しずつ紐解いていこう。
本来は祈願行事だった丑の刻参りが、なぜ「人を呪う儀式」として語られるようになったのか。その大きな鍵を握っているのが、平安時代を舞台にした、宇治の橋姫という女性の伝説である。
伝えられるところによれば、嵯峨天皇の御代、ある公卿の娘が激しい嫉妬に苦しんでいた。妬ましいと思う相手を取り殺したいと願い、貴船大明神に七日間こもって祈り続けたところ、ついに神託が下る。「生きながら鬼になりたいのであれば、姿を変えて宇治川の流れに三七日――二十一日間――身を浸せ」というのである。
女は喜び、髪を五つに分けて角のように結い上げ、顔には朱を、身には丹を塗り、頭には鉄輪をかぶって三本の松明に火を灯し、夜更けに人気のない道を走り抜けて宇治川へと向かった。そして告げられた通り二十一日間、川に身を浸し続けた末に、ついに生きながら鬼へと姿を変えたのだという。これが「宇治の橋姫」の伝説である。後に彼女は武将・渡辺綱と一条戻橋で対峙し、二の腕を斬り落とされる。その腕を封印したのが、かの陰陽師・安倍晴明だったと伝えられている。
この説話が記されているのは、鎌倉時代後期に書かれた『平家物語』の異本「剣の巻」である。興味深いのは、ここに描かれる橋姫の姿が、私たちが想像する丑の刻参りの女性像とは少し違う点だ。白装束ではなく赤一色に身を染め、藁人形も金槌も登場しない。それでも、頭に鉄輪をかぶり、その足に火をともすという、丑の刻参りを象徴するビジュアルの原型は、すでにここに息づいている。
この橋姫説話は、のちに室町時代、能の演目「鉄輪」として翻案される。ここでも橋姫は赤い衣をまとい、顔に丹を塗って登場するが、彼女を祓おうとする陰陽師・安倍晴明は、茅(かや)で作った人形に夫婦の名を込めて祈祷を行う。つまり、この時点で使われていた人形は、まだ藁ではなく茅という別の植物だったのである。女の嫉妬と「丑の刻」という時間、そして人形を用いた呪法――これらの要素が次第に結びついていくことで、現在私たちが知る丑の刻参りの輪郭が、ゆっくりと形作られていったと考えられている。
平安時代には、賀茂忠行(かものただゆき)、安倍晴明(あべのせいめい)、蘆屋道満(あしやどうまん)といった、まさにカリスマと呼ぶべき陰陽師たちが活躍し、社会的にも厚い信頼を寄せられていた。日本で呪術文化がもっとも花開いたのも、まさにこの時代だったといえるだろう。
人を象った形代(かたしろ)に、呪う相手にゆかりの品を込めて呪術を行うというスタイルそのものは、決して目新しいものではない。考古学の世界では、奈良時代にまでさかのぼる人形の呪具がすでに発見されている。奈良の平城宮跡からは、両目と胸に釘を打ち込まれた八世紀の木製人形が出土しており、島根県松江市の遺跡からも、両乳房と心臓の位置に木釘を打たれた女性の形代が見つかっている。これらは、人を呪い殺すことを目的とした、千年以上前の「呪いの人形」だったのである。こうした呪術の根は、陰陽道だけでなく、道教や修験道、そのほかさまざまな秘教的な文化が複雑に絡み合いながら、長い時間をかけて育まれてきたものなのだ。
さて、人型に呪いをかけるという呪術が、なぜ「丑の刻参り」と結びついたのか。これを理解するには、貴船神社の祭神について、もう少し踏み込んで説明する必要がある。実は貴船神社の祭神「高おかみ神」には、「闇おかみ神(くらおかみのかみ)」というもうひとつの呼び名が伝えられている。貴船神社の公式な説明では、これらは同一の神とされているが、陰陽師たちのあいだでは、どうやら少し違う捉え方がされていたようだ。つまり「闇おかみ神」への祈願こそが、人形を用いた呪術儀式だったと考えられているのである。
ただし、ここで誤解しないでいただきたいのは、陰陽師たちが行っていたとされるこの儀式は、決して人を陥れるための呪いではなかったという点だ。このことについては、本稿の終盤で改めて触れたいと思う。しかし、こうした陰陽師たちの密かな儀式が、いつしか「呪いの儀式」として誤解されたまま世間に広まり、それを模した、人を呪うためのブラック・マジックとしての「丑の刻参り」が、現代まで伝えられてしまっているのである。
ここで、多くの人が驚くであろう事実をひとつ紹介したい。私たちが「丑の刻参り」と聞いて真っ先に思い浮かべる藁人形だが、実はこの呪法に藁人形が定着したのは、思いのほか新しい時代のことなのである。
國學院大學の研究者・鳴海あかり氏による近年の論考によれば、丑の刻参りに人形を用いる記録は元禄期(十七世紀末)頃から見られるようになるものの、それらはまだ藁人形ではなく、紙に描かれた人の姿や絵姿、あるいは木で作られた人形だったという。たとえば名古屋藩士の日記には、縮緬の衣を着せた木の人形が、熱田の社で釘を打たれて発見されたという記録が残っている。
藁人形の使用が文献上はじめて明確に記されるのは、なんと一七八三年、四方赤良(よものあから)による狂歌集『万載狂歌集』においてである。江戸・麻布の稲荷で、紙に目を描いて釘を打つ呪いが目撃され、それを狂歌で諫めたところ、次に現れたのは藁で作られた人形だった、という顛末が記されている。紙人形と藁人形が、ある時期せめぎ合っていた可能性があるというのだ。
その後、戯作者・山東京伝の読本などを通じて、藁人形を用いる丑の刻参りのイメージは一気に広まり、江戸の人々の間で定着していった。古典落語の「藁人形」という演目が成立するのも、こうした流れの先にある。神仏に釘を打って祈願する行為から、人型の形代に釘を打つ行為へ、そして最終的に藁人形へ――時代を経るごとに、神仏への祈りという側面が薄れ、恨む相手へ直接ぶつけるという、より生々しい呪いの形へと変化していったことが読み取れる。
千年以上前から続く「人形に釘を打つ」という呪術の根と、江戸時代に花開いた「藁人形」という具体的なモチーフ。この両者が出会って初めて、私たちが知るあの丑の刻参りの姿が完成したのだと考えると、なんとも感慨深いものがある。
インターネットで「丑の刻参り」を検索すると、非常に多くのサイトがこの呪術について語っている。おおむね共通して紹介されているのは、次のような内容だ。
身にまとうのは白装束、顔には白粉、唇には濃い口紅。足元には灯したロウソク、胸には鏡をかけ、口には五寸釘を咥える。右手に金槌、左手には敵に見立てた藁人形を持ち、丑の刻(午前一時から三時ごろ)、誰にも見られないよう、呪いの言葉をつぶやきながら人形に五寸釘を打ちつける。これを七日間続けると、呪いは成就する――。ざっと、こうした内容である。
なぜこうした情報をあえて紹介したかというと、実はこれ、呪術としては正しくないからである。仮にこの通りに実践したとしても、何の効果も得られない、まったく無意味な行為だ。
ただし誤解しないでほしいのは、人に対してネガティブな呪いをかけるブラック・マジックとしての「藁人形の呪い」自体は実在するということである。たとえばハイチなどに伝わるブードゥー教の呪術は、まさにこの技法を実践してきた。ただし、この呪いを正確に行ったとしても、対象者がその場で死に至るわけではない。実際に起こるとされる顕著な効果は、その人体に無数の針が入り込むというものだ。冒頭でも触れたように、こうした呪いには必ずしっぺ返しが伴う。それを何より雄弁に物語っているのが、二〇一〇年のハイチ地震だろう。この震災では、多くのブードゥー教の呪術者たちが命を落としている。このことを心に留めて、ブラック・マジックで誰かへの恨みを晴らそうなどとは、決して考えてはならないのである。
余談だが、現代の科学では、呪いの効果そのものは実証されていない。むしろ「誰かに呪われている」と思い込むことそのものが自己暗示となり、心身に不調をもたらしてしまう――これは「ノーシーボ効果(逆プラシーボ効果)」と呼ばれる現象に近いと説明されることがある。とはいえ、丑の刻参りの伝承では「呪いは人に知られると効力を失うだけでなく、術者自身に跳ね返る」とされてきた点も見過ごせない。呪いというものが、単なる思い込みの話だけでは語り切れない側面を、古来の人々はすでに見抜いていたのかもしれない。
丑の刻参りは、特定の地域だけの言い伝えではなく、日本各地でさまざまなバリエーションを伴って伝えられてきた。たとえば滋賀県甲賀市信楽町に伝わる話では、白装束に身を包み、頭に三本のロウソクを立て、口にカミソリを咥え、胸に鏡を当てた女性が、髪を下げたまま氏神の社へ向かい、太い木に人形を五寸釘で打ちつけるのだという。しかもその回数は一晩に一本、なんと四十八日間にも及ぶ。最後の夜になると、氏神が牛の姿となって現れ、思いとどまらせようとするが、それでも牛の背を飛び越えて最後の釘を打ち終えると、ついに呪いは成就し、相手は命を落とすとされている。誰かに見られてしまうとすべてが水の泡となるため、もし丑の刻参りをしている人と出くわしたら、逆に自分の身が危ないとも語られている。
一方、福島県須賀川市に伝わる話では、結婚したくない相手がいるとき、あるいは離婚を望むとき、人を呪い殺したいときには、地元の神社に二十一日間通い続け、最後の夜に境内の銀杏の木へ親指で五寸釘を押し込めるほどの強い思いがあれば、願いが叶うとされている。これもまた、途中で誰かと出会ってしまえば願いは果たされないという。
地域によって日数や作法は異なるものの、「夜更けに、誰にも知られず、何度も通い続ける」という骨格は共通している。それぞれの土地で語り継がれてきたこれらの言い伝えは、人の嫉妬や恨みという感情が、いかに長く、そして広く、人々の想像力を揺さぶってきたかを物語っているように思える。
「丑の刻参り」が単なる伝承や創作の中だけの話ではないことを示す、興味深い実物資料がある。一八七七年(明治十年)、東京・上野公園のイチョウの木に、七本の鉄釘で打ち付けられた状態の藁人形が発見された。現在もそのうち六本の釘が現存しており、この資料は「呪咀人形(じゅそにんぎょう)」として東京国立博物館に収蔵されている。
憎い相手を呪うために、相手の髪の毛などをこの人形の中に収め、深夜に釘を打ち込んだのだろうと考えられている。文明開化の足音が聞こえはじめていた明治の東京で、誰かがこっそりとこの儀式を行っていた――そう考えると、丑の刻参りが決して遠い昔の物語ではなく、ごく最近まで、いやおそらく今この瞬間も、どこかで静かに行われ続けているのかもしれないという、ぞっとするような実感がわいてくる。
ところで、もし本当に丑の刻参りを実行してしまったら、法律的にはどうなるのだろうか。実はこれは、刑法の世界でもしばしば取り上げられる、ちょっと意外な論点なのである。
「丑の刻参りで誰かを呪い殺そうとする」という行為そのものは、日本の刑法学において「不能犯」の典型例として扱われている。不能犯とは、犯罪を行う意図があり、実際に行為に及んだとしても、その行為では結果が生じることが原理的に不可能である場合を指す概念だ。呪いの効果は科学的に証明できないため、結果を発生させる危険性そのものが認められず、殺人罪や殺人予備罪には問われない、というのが現在の解釈なのである。同じく不能犯とされる例としては、砂糖で人を殺せると信じて毒殺を試みた場合などが挙げられる。
しかし「呪いそのもの」は罪に問われないとしても、丑の刻参りという行為に付随するさまざまな振る舞いは、別の罪に問われる可能性がある。多くの神社は私有地であるため、参拝目的ではなく藁人形を打ち付けるために無断で立ち入れば住居侵入罪に、神木に釘を打ち込めば器物損壊罪に問われかねない。さらに「呪いの力でお前を殺す」といった具体的な発言で相手を脅せば脅迫罪、その言葉によって相手が心身に不調をきたした場合には傷害罪に問われる可能性すら指摘されている。
実際に、二〇二二年六月には、千葉県松戸市の神社十か所ほどの御神木に、ロシアのプーチン大統領の顔写真と「抹殺祈願」の文字を貼った藁人形が打ち付けられる事件が起きた。動機はロシアのウクライナ侵攻への抗議だったと見られているが、犯人の男性は建造物侵入と器物損壊の疑いで逮捕されている。神社の御神木には、いまも大きな穴が残されているという。「呪いそのものは罪にならない」としても、その手段や行動には現代社会のルールがしっかりと及んでいる――そんな、少し皮肉な現実がここにある。
インターネットを見渡すと、「藁人形の呪い代行サイト」と名乗るものが数多く存在している。すでに述べてきた通り、これらのサイトが持つ知識やスキルでは、本来の意味での呪術を実践することはできない。したがって、こうしたサイトには絶対に関わらないよう、くれぐれも注意していただきたい。
また、「呪いのキット」なるものが通信販売で売られている例も見受けられる。こうした商品にもまったく効果はないし、そもそもこうした道具を使って誰かをおとしめようと考えること自体が、自分の魂を悪魔に売り渡す行為に等しい。決して手を出してはいけないものだと、心にとどめておいてほしい。
さて、最後に、陰陽師たちが密かに行っていたとされる、本来の藁人形の儀式について触れておきたい。あらかじめお伝えしておくが、ここから語られる内容は、まだ史実として確定したものではなく、仮説を多く含んでいる。その点をご理解のうえ、お読みいただければと思う。
陰陽師たちが密かに行っていた藁人形の儀式は、いわば神道的な、「神に通じるための儀式」だったのではないかと考えられている。丑の刻参りで「胸に鏡をかける」という所作は、天照大神の岩戸開きにちなんだ、合わせ鏡の儀式を象徴するものだという。
さらに、陰陽師がなぜ藁人形をご神木に打ち付けたのか、という点にも、重大な秘密が隠されているという説がある。これは、イエス・キリストの磔刑を模した儀式だったのではないか、というのだ。陰陽師がなぜイエスと結びつくのか、と疑問に思う方も多いだろう。それは、陰陽師たちのもとに、すでにユダヤ教神秘主義であるカバラの教えが伝わっていたからだとされている。この点を裏づける証左は数多くあるが、ここでは詳細は割愛したい。
つまり、原型となった「藁人形の儀式」は、誰かを呪うためのものではなく、日本だけでなく世界中の聖者や神々とつながり、自らの能力や魂をより崇高なものへと高めるための「秘儀」だったということになる。丑の刻参りで頭にかぶる「鉄輪」と、そこに立てられた三本のロウソクは、イエスが被った茨の冠であり、同時にカバラが伝える重要な三柱の神を、それぞれ表しているのだという。
これが、本来の「藁人形の儀式」の姿であり、決して呪いの儀式などではない。だからこそ、これを模して人を呪おうとしても、決して効果は得られない――そのことを、どうか理解していただければと思う。
Wikipedia - 丑の刻参り:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%91...
國學院大學学術情報リポジトリ - いわゆる「丑の刻参り」の完成 : 妬婦・藁人形・呪釘:https://k-rain.repo.nii.ac.jp/record/200...
文化庁 文化遺産オンライン - 呪咀人形(明治期出土の藁人形資料):https://online.bunka.go.jp/heritages/det...
国際日本文化研究センター - 怪異・妖怪伝承データベース(丑の刻参り・滋賀県事例):https://www.nichibun.ac.jp/cgi-bin/Youka...
国際日本文化研究センター - 怪異・妖怪伝承データベース(丑の刻参り・茨城県事例):https://www.nichibun.ac.jp/cgi-bin/Youka...
神戸大学リポジトリ - のろい(文化人類学・民俗学における呪詛考察):https://www2.kobe-u.ac.jp/~umeya/site01/...
神戸大学リポジトリ - 新潟県佐渡島における呪詛の研究(日常的イノリと忌まい):https://www2.kobe-u.ac.jp/~umeya/site01/...
立教大学 - 文化人類学から考える日本特有の「呪い」と現代社会:https://www.rikkyo.ac.jp/closeup/researc...
立教大学 奥野克巳教授 - 呪術とは何か?(人類学講義レジュメ):https://www2.rikkyo.ac.jp/web/katsumioku...
Wikipedia - 式神(陰陽道における呪詛と使役):https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%8F...
Wikipedia - 呪符(日本古代遺跡より出土した呪詛木簡):https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%AA...
青山学院大学リポジトリ - 刑法の分化史(古代ギリシア法と日本の呪詛制度):https://opac.agulin.aoyama.ac.jp/iwjs001...
国立国会図書館 レファレンス協同データベース - 茨城県に伝わる藁人形(大助人形)の民間信仰資料:https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/in...
貴船神社 - 貴船大神と水神信仰(丑の刻参り・宇治の橋姫伝説ゆかりの地):https://kifunejinja.jp/
奈良文化財研究所 - 呪符木簡と古代日本の呪詛遺物研究:https://www.nabunken.go.jp/
国立歴史民俗博物館 - 日本の民俗宗教と民間信仰の展示・研究ポータル:https://www.rekihaku.ac.jp/
弁護士法人ベリーベスト - 不能犯の定義と刑事責任(丑の刻参りを例とした法解釈):https://office.vbest.jp/columns/criminal...
シェアしたくなる法律相談所 - 藁人形で他者を呪う行為の刑法上の犯罪成否と判例解釈:https://lmedia.jp/2018/03/28/84270/