一般に霊能力者と呼ばれる方々は、生まれながらにしてその力を備えている場合が多いですが、恐山のイタコは厳しい修行を経て後天的に霊感を磨いていきます。彼女たちの修練は、般若心経や観音経といったお経の暗唱や、膨大な数のイタコ独自の巫歌、さらには仏教、神道、修験道、その他民間信仰にかかわる祝詞や経典など、さまざまな宗派の神々や仏の名を記憶することから始まります。こうした修行には、以下の3つの目的があります。
・万が一、口寄せの際に悪霊が近づいたり、取り憑かれた霊が肉体から離れなくなる場合、あらゆる神仏の力を借り、自分自身を守るための絶対的な抵抗力を身につけます。
・呼び寄せる霊が生前に信仰していた宗派の経文や祝詞を用いると、霊も安心してその存在を表現しやすくなります。さらに、亡くなる前に浄化の機会がなかった霊にとっても、生前の信仰を感じることは成仏への導きとなると考えられています。
・多くの宗教は死後の世界や神仏の存在について説いており、それぞれが一種の教科書として機能します。イタコはこれらの多様な教えを学ぶことで、目に見えない霊的世界の理解を深め、自己の霊感を養います。
こうした背景から、イタコはあらゆる宗教の知識に精通する必要があり、その修行内容の詳細は未だ多くの謎に包まれています。修験道の厳しい修行と類似点が見られることから、両者が密接に関係しているのではないかという仮説も存在します。
東北地方では、古来より自然そのものに精霊が宿ると信じる土着信仰が根付いています。巨木や岩、川、山や海など、あらゆる自然物に命の息吹が感じられるという感覚は、地域の心の奥底に温かい絆をもたらしてきました。また、祖霊信仰も伝わっており、亡くなった者の魂が山を登って天へと向かい、地域を守る神として崇められるという考えは、先祖への深い敬愛の表れと言えるでしょう。こうした精神歴史的背景が、恐山の地を霊場として位置づけ、そこに宿る神秘的な力を引き出す基盤となっています。
元々「イタコ」という呼称は「穢多子」と書かれ、乞食や弱者と同義であったことから、江戸時代には恐山の例祭において乞食が大量に出現し、しばしば追放されるエピソードも残っています。また、当時は主に盲目あるいは目の見えない女性がその特殊な能力や社会的背景により、イタコとしての道を歩んでいました。大正時代に入ると、彼女たちは互いに結集し、寺院を拠点として組織的に活動するようになりました。戦後からは、全国へとその名が広まり、やや誇張された形でシャーマン的な存在として知れ渡ることとなりました。
かつてイタコは、地域に根付く伝統的な信仰体系の中で、まるで僧侶のように故人をしのび供養し、祖霊への感謝を説く大切な存在でした。地域住民にとって、イタコは親しい存在であり、故人との思い出や温かい絆を紡ぐ役割を果たしてきたのです。彼女たちの経験や心の深さは、人の痛みに共感し、慰めるカウンセラーのような働きをしていたともいえます。
また、古来、東北では障がいを持つ人々が厳しい社会環境に晒されながらも、その特異な存在感がひそかに尊ばれてきた経緯があります。こうした背景により、かつては地域の守り神的な意味合いを持ちながら、生活に困難を抱えた女性たちが自らの霊能力を磨き、社会で生き抜くための一策としてイタコの道を選んだ面もあります。しかし、やがてその評判が全国に広まり、多くの霊能力を求める人々が訪れるようになると、純粋な信仰から観光資源として扱われる側面が強まり、伝統と商業の狭間で揺れる現実も見受けられるようになりました。
恐山のイタコは、基本的に霊感によって死者や神々のメッセージを伝える役割を担っています。当初は盲目の女性が中心でしたが、現代では視力のある者や男性も含まれ、伝統は変容しつつあります。現在、恐山は一大観光地として賑わい、目を引く看板や屋台が並ぶ光景は、かつての厳粛な儀式とは一線を画すものとなってしまいました。実際、3000円程度で口寄せの儀式を行うイタコがテントに並び、行列ができる光景は、一部の来訪者にとってはエンターテイメント的に映ることも否めません。しかし、その背景には、伝統の深さや、かつて人々が失われた心のつながりにどれほど熱い思いを抱いていたかという歴史の重みが感じられます。加えて、インターネットを通じて大々的に宣伝する業者も現れ、実際の霊的体験か否かについては注意が必要といえるでしょう。
かつては、全盲あるいは事故などで視力を失った女性たちは、結婚や一般的な職業に就くことが困難でした。その結果、先輩イタコの元に弟子入りし、厳しい修行を重ねることで、社会の中で生きる術としてイタコの道を選んでいくことになりました。彼女たちは、師匠からの教えと共に、心と体の限界に挑む特殊な修行を行いながら、次第に自らの霊力を開花させていくのです。
修行の入り口は、幼少期から思春期にかけてが最適とされます。これは、子どもの純真な心は大人の枠に囚われず、自由な感性が霊的な世界への扉を開くと考えられているためです。特に、8歳から11歳頃に弟子入りすることが望ましいとされ、子ども特有の柔軟な心や潜在能力が、後の霊力開発に大いに寄与すると信じられています。また、過酷な経験や深い苦しみを経験した者にも、心の壊れかけた部分から未知の力が芽生えるという見方があり、そうした人々にとってもイタコ修行は貴重な道となります。
修行の最初の段階では、口寄せに用いる御経や祝詞、呪文を暗唱することから始まります。盲目であるため、師匠から直接口伝えで教わる形式がとられ、観音経、般若心経、さらにはイタコ独自の巫歌30~40曲を丸暗記しなければなりません。その他、仏教、神道、修験道、民間宗教におけるさまざまな経文や祝詞を理解し、心に刻むといった多面的な勉学が続けられ、これには平均して4~5年の修行期間が必要とされます。そして、霊的能力をさらに高めるための秘伝的な修行法は、外部には公開されていない部分も多いのが実情です。
一定の修行を終えた弟子には、「大事ゆるし」と呼ばれる特別な入魂儀礼が待っています。これは、専用の祭壇「行場」で本人が神懸かりを体験する厳しい断食とトランス状態を伴う儀式です。食事は極限まで制限された精進料理が中心となり、服装は師弟ともに白装束に統一され、室内の暖房も一切使わずに実施されます。冷水を33杯浴びる「水垢離」の儀を経て、体は極度の寒さにさらされ、防衛本能として熱が生じ、全身を駆け巡るエネルギーが、普段眠っている霊的な意識を呼び覚ますといわれています。この極限状態で、イタコは必死に経文を唱え、次第に神仏の姿を視認するという体験をするのです。儀式の後、師匠は弟子に「どの神仏が降臨したか」を尋ね、その答えが一生を守る守護霊となる大切な証となります。
無事に守護霊の啓示を受けたとみなされた弟子は、独立して一人前のイタコとして認められます。この時、師匠から「イラタカ数珠」と呼ばれる、特有の数珠が授与される儀式が行われます。この数珠は、無患子の実や子安貝、さらには熊などの動物の爪から作られており、一般の仏教用の数珠とは一線を画す、イタコならではの大切な道具とされています。師匠が「仏おろしの祭文」を唱えながら数珠を振るう儀式は、弟子にとって新たな門出を象徴するものであり、心からの祝福を受けた瞬間とも言えるでしょう。