真霊論-陰陽師による除霊-呪文-儀式

陰陽師による除霊・呪文・儀式

陰陽師とは、いったいどのような知識を身につけ、どのような技を駆使した存在だったのか。時代の闇に溶け込みながら、天と地のはざまで働いたその実像を、ひとつひとつ紐解いていこう。

占術——天の意思を読み解く技

陰陽道における「占術」の目的

陰陽師がさまざまな場面で行った「占術」。その行き着く先は、単なる吉凶判断ではなかった。彼らが占術を通じてアクセスしていたものは、究極的には「天の意思」と、それが世界に満ちる「気の力」として現れるものだった。占いとは、その神秘的な意思を読み解くための、いわばもっとも手っ取り早い窓口だったといえる。

陰陽寮の必読書

757年(天平宝字元年)に定められた規定によれば、陰陽寮へ入官する候補生たちが必ず読むべき書物として、『周易』『新撰陰陽書』『黄帝金匱』『五行大義』の四冊が挙げられていた。『周易』はいわゆる易占いの経典であり、残りの三冊は日時の吉凶や式占・五行説に関する専門書だ。これだけを見ても、陰陽師の学問の根幹が「占術」にあったことは明らかである(山下克明『陰陽道の発見』より)。

陰陽師が用いた占術の種類

1)式占(ちょくせん)

「式盤」を使って行う占いで、この盤は宇宙の縮図とも考えられていた。代表的なものに「太乙(たいいつ)式」「遁甲(とんこう)式」「六壬(りくじん)式」の三種があり、これらをまとめて「三式」と呼ぶ。なかでも六壬式は、平安時代から鎌倉時代にかけて陰陽師が必ず習得すべき占術とされていた。六壬式盤は「與(よ)」と呼ばれる地を象徴する台座と、「湛(たん)」と呼ばれる円形の天板から成り、天変地異の予知や吉凶判断に使われた。また鎌倉期以降は、戦術を練る場面では遁甲が積極的に活用されたという。

なお、「太乙式」と「遁甲式」に関する書物は「秘書」として扱われ、陰陽寮からの持ち出しが厳しく禁じられていた。それらの書には、国家の根幹を揺るがしかねない知恵が記されていた可能性がある——と思うと、想像するだけで背筋が伸びる。

2)易占(えきせん)

『易経』に基づいた占筮(細い竹を用いた占い)である。陰陽寮にも伝わっていたが、実践の場では式占が主に使われ、易占の出番は限られていたようだ。

3)相地(そうち)

「地を相(み)ること」とはすなわち風水術のことで、陰陽師の重要な職掌のひとつだった。遷都の際には、陰陽師が候補地を実際に訪れて視察し、「四神相応の地」かどうかを判断した。四神とは青龍(東)・白虎(西)・朱雀(南)・玄武(北)のことで、これら四つの方位を守る神々の条件を満たす土地が都に向いているとされた。平安京はまさにこの理想を体現した地と言われている。ただ陰陽師の風水術は現代のそれよりずっとシンプルで、最終的な判断には式占や、亀の甲羅を焼いてその結果を読む「亀卜占(きぼくせん)」などが用いられたようだ。

4)暦占(れきせん)

暦そのものを作るのは暦博士の仕事だが、それを使って吉凶を占うのは陰陽師の役割だった。陰陽師が使ったのは「具中暦(ぐちゅうれき)」と呼ばれる暦で、季節や年中行事から毎日の吉凶にいたるまで、さまざまな情報が漢字で書き込まれていた。これらの記入事項を「暦注(れきちゅう)」と呼ぶ。陰陽師はこの暦注を対象者の生年と照らし合わせ、十干・十二支・六十干支、あるいは陰陽五行の相克・相生を根拠として吉凶や方角を導き出した。

たとえば大吉日とされる「天恩日」には元服や婚礼が行われ、「母倉日」「天赦日」は万事に縁起がよいとされた。一方で「受死日」「十死日」「五墓日」は重い凶日で、人との接触を避ける「物忌(ものいみ)」の日にあてられた。

5)天文占(てんもんせん)

天文占は本来、陰陽師ではなく天文博士の職掌だ。しかし賀茂忠行や安倍晴明のように天文博士も兼ねていた人物は、天文占にも長けていた。平安時代の「天文」という概念は広く、星や日月食などの天体観測だけでなく、風・雲・雷・虹といった現代でいう気象現象も含まれていた。これらから「天のことわり」を読み取り、吉凶を判断するのが天文占の本質だった。

呪術——見えない世界に働きかける技法

陰陽師たちが実際に用いたとされる呪術は、驚くほど多彩だ。その多くは道教・密教・修験道から受け継がれた智慧を、そのまま、あるいは陰陽道流にアレンジして使っている。神秘と実用が分かちがたく結びついた、独特の世界がそこにある。

1)式神(しきがみ)

「紙や草などで作った人形に呪文や息を吹き込んで命を宿し、あるいは鬼神を召喚して意のままに使役する呪術」——それが式神だ。「識神」や単に「式(しき)」とも呼ばれる。安倍晴明は十二神将を操ったと伝わるが、それを詳細に記した古文献は現存せず、真相は謎のままだ。

古文献に残る式神使役の描写を見ると、偵察や雑用をさせたり、人の姿に化けさせたりする例のほか、「晴明が葉に呪詛をかけ、そのままカエルを殺した」(宇治拾遺物語)という劇的な場面も伝わっている。いずれも共通するのは、式神の本体は目に見えない存在だということ——つまり霊的な何かを使役するのが式神の本質だ。

式神の正体をめぐる諸説

式神とは何だったのか、実はいまも定説がない。以下に主要な仮説を挙げてみよう。

●式盤を使った呪術説 式とは式盤に由来するとする説。六壬式や遁甲式はもともと中国の占術でありながら、霊的存在の使役法を含む呪術でもあったとされる。とくに遁甲式盤は陰陽寮から持ち出し禁止とされていたことから、強力な呪術ツールだった可能性がある。

●聖霊の召喚・使役術説 式神は密教や修験道における「護法善神」(仏法を守護する神霊)にルーツがあるとも考えられる。陰陽道の開祖とも言われる役小角(えんのおづぬ)は、護法善神や自然の精霊を使役したとされており、その術が賀茂氏を通じて平安時代の「式神」として発展した可能性もある。また、もし陰陽道にカバラ的な呪術体系が含まれていたなら、霊的存在の召喚術が伝わっていた可能性もある——想像はどこまでも広がる。

●ブラックマジック的技法説 呪詛をかけた物品を敵対者に送り、遠隔的に作用させる手法だ。こうした物品は「厭物(まじもの)」と呼ばれた。「藤原道長の病気は式神によるもの」と記した古文献では、道長邸から厭物が発見されており、式神と厭物が密接に関係していたことを示唆している。

●気功術説 陰陽師はもともと「気」を扱う職種でもある。仙道由来の気功術で気を練ることにより、何らかの現象を引き起こす技があったのではないかという説だ。

●いざなぎ流の式王子 高知県物部村に今も息づく民間信仰「いざなぎ流」には、陰陽師の式神に最も近い具体例が残っている。執行者である「太夫」が使役する霊的存在を「式王子」と呼び、巨石を神格化した「高田王子」、五行を調和する「五人五郎の王子」、狼を式化した「オオカメ式」など、数十種に及ぶという。太夫が読む「法文」によって式王子は使役される——式を使うことを「式を打つ」と表現するのが印象深い。ただし、いざなぎ流には陰陽道・修験道・密教が混ざり合った要素が色濃く、また現代においてこの術を継承する太夫はいないことを記しておく。

2)蠱毒(こどく)・犬神・猫鬼

古代中国から伝来した、虫や動物を使った呪術の総称だ。「器の中に多数の虫を入れて互いに食い合わせ、最後に生き残った最も生命力の強い一匹で呪いをかける」という術式が知られる。再三にわたり禁止令が発布されたことからも、当時いかに恐れられていたかがわかる。犬神は犬を、猫鬼は猫を使った呪術で、蠱毒が式神のルーツではないかという説もある。

3)人形(ひとがた)

形代(かたしろ)・撫物(なでもの)とも呼ばれ、紙・木・草葉・藁などで人の形を作り、呪詛の対象物とする。呪詛とは霊的な神秘世界に働きかける行為で、善悪の両面に使える。善用としては、病気や怪我を患部から人形へ「移して」穢れを祓う用途や、男女二体の人形を合わせて恋愛成就を祈る用途がある。悪用では「丑の刻参りのわら人形」が有名だが、悪意ある呪詛には必ず「呪い返し」があるとされ、対処法を知らない者には厳に慎まれた。

4)厭物(まじもの)

呪詛を施す物品は人形に限らず、呪符、欠損のある物品、古物なども使われた。こうした品々が呪詛に用いられたとき、総じて「厭物」と呼ばれた。貴族が病に倒れると、駆けつけた陰陽師がまず行うのは、邸宅のどこかに厭物が仕掛けられていないかを探し出すことだったという。古文献の中には厭物を「式神」と記したものもあり、両者の境界は曖昧だったようだ。

5)埋鎮の皿(まいちんのさら)

二枚の皿に神名や呪文を記して神的なパワーを封じ込め、土中に埋める。「神鎮め」や「邪気封じ」として機能したと考えられており、地の下に眠る見えない力への畏敬が感じられる行為だ。

6)呪符・護符(じゅふ・ごふ)

呪詛をかけるための「呪符」と、身を守る「護符」——これらをまとめて「霊符」と呼ぶ。さまざまな紋様・呪文・記号・神秘図形を組み合わせた符は、道教にルーツを持つとする説が有力だ。そのデザインには、漢字や梵字を多用する仏教的な「日本式」と、図形的要素の強い道教系の「中国式」の二系統がある。

7)セーマン・ドーマン

陰陽師の霊符として特に有名なのが、安倍晴明に由来する「セーマン(五芒星・晴明桔梗)」と、晴明の好敵手・芦屋道満に由来する「ドーマン(九字格子)」だ。セーマンの五つの頂点は陰陽道の基本である五行を表し、それを線で結ぶことで万物の除災と清浄をもたらす霊的な結界を張る。後に安倍家の家紋となったこの紋は、現在も晴明神社の社紋として輝いている。晴明神社の一の鳥居の額には、この五芒星が金色に輝いており、全国の神社の中でも社紋を鳥居の額に掲げる珍しい例として知られている。

ドーマンは聖なる「九字」で結界を張る符だ。そして今日、この二つを組み合わせた「セーマンドーマン」が、伊勢志摩・神島の海女さんたちの大切なお守りとして受け継がれている——深い海に潜る者を守るため、千年を超えて生き続ける呪術の姿がそこにある。

8)呪禁(じゅごん)

中国の「呪禁道」(道教と仏教の影響下にある呪術)に由来し、主に「呪術による病気治療」に使われた。典薬寮が陰陽寮に吸収されたことで、陰陽師にもこの技が伝わった。禹歩・手印・気道禁・存神禁など多様な技法を用いて、病気の原因となる邪気や鬼神の侵入を「禁じる」のがその目的。呪禁を行う際には刀を手に呪文を唱えたとされ、このスタイルは後述する「反閇」にも受け継がれている。

9)反閇(へんばい)

その場の邪気を祓い、気を鎮め整えるための呪術的な歩行術・作法の総称が「反閇」だ。土御門家の家司・若杉家に保管されていた「小反閇作法」には、陰陽師が刀を持ちながら「刀禁呪」を唱え、符呪を切る所作が記されている。反閇の際に読む呪文には、「想へ東方木禁は吾が肝中に在り……」という五行と身体を結びつける観想法が含まれており、単なる歩行術を超えた瞑想的な要素が見て取れる。天皇や貴族が外出する前、門前でこれを行うのが慣わしで、道中の災いを防ぐ守護の儀式だった。

10)禹歩(うほ)

道教に由来する魔除け・清めの歩行術で、相撲の四股や神道の所作のルーツとも言われている。三・七・九といった北斗七星や易の八卦と深く関わる数を踏まえた歩順で行われ、後足が前足を越さない摺り足に似た歩き方が特徴だ。「魔を祓い、地を鎮め、福を招く」を目的とし、奇門遁甲の法術部門では術の成功に欠かせない準備として行われた。後述する九字を唱えながら踏むのが最善とも伝わっている。

11)身固(みがため)の呪法

呪詛をかけられた人や衣服などに対し、魔や穢れを祓って呪的な守護を施す術だ。「宇治拾遺物語」には、晴明が式神を放たれた若き少将の身を抱いて身固めの呪法を行うと、式神を放った陰陽師に呪が跳ね返ったという話が残っている。一種の「盾の呪術」とでもいうべき、防御に特化した技法だ。

12)鬼門封じ

陰陽師は風水師でもある。「鬼門」とは東北の方角(艮)のことで、鬼が出入りする不吉な方角として特に警戒された。この方角に対しては、鬼門除けの神仏を祀ったり桃の木を植えたりして、陰陽師が護符や結界を張った。京都御所の鬼門にあたる角が凹んでいるのは、この鬼門封じの名残だと言われている。また鬼門の真裏、南西(坤)の方角は「裏鬼門」とも呼ばれ、こちらも注意が必要とされた。現代の風水においても、鬼門の方位にトイレや風呂・玄関を設けることを忌む習慣として生き続けている。

13)穏形術(おんぎょうじゅつ)

自分の姿を相手の目から隠す術。道教・密教に由来し、現代的に言えば不可視の結界術、あるいはテレポーテーション的な技法とも解釈できる。忍者の「身隠しの術」はこの応用とも考えられており、ヒマラヤの聖者による類似の術が実在するという証言もある。もっとも、すべての陰陽師が体得していたものではなく、霊術に特に長けた一部の者だけが使えた技だったと考えるのが自然だろう。

14)射腹蔵鈞の術(しゃふくぞうきんのじゅつ)

現代でいう「透視」「霊視」にあたる能力だ。物質の内部を見通したり、人の前世や霊的要素を視覚的にとらえたりする。賀茂忠行が天皇の前で透視を披露した記録や、晴明と忠行が外出中に鬼神(おそらく死者の霊)と出くわし、二人がこれを霊視、さらに忠行が穏形術でその場を乗り切ったとされる話が伝わっている。訓練で多少は磨けるとしても、この力の多くは生まれ持った資質に依るものが強く、陰陽師の中でも限られた者だけに与えられた術だったのだろう。

呪文・真言類——言葉に宿る力

言葉そのものが呪力を持つという思想は、陰陽道の根底にある。陰陽師が用いた主な呪文・真言を見ていこう。その多くは道教・密教・修験道に起源を持ちながら、日本の風土に溶け込んで独自の形を持つようになった。

1)急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)

もとは中国漢代の公文書末尾に記された定型句で、「急いで律令の如く行え」——つまり「今すぐ実行せよ」という命令の言葉だ。単独では使わず、たとえば「祓いたまえ、清めたまえ、急急如律令」「六根清浄、急急如律令」というように、目的の言葉と組み合わせて「早く実現せよ」と念を押す形で唱える。陰陽師だけでなく、密教・修験道でも幅広く使われた。

2)九字(くじ)

臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前(りん・びょう・とう・しゃ・かい・じん・れつ・ざい・ぜん)。「九字真言」「ドーマン」とも呼ばれるこの呪文は、もともと「山に入る際に邪気をかわすため」の言葉として生まれた。九つの文字はそれぞれ「青龍・白虎・朱雀・玄武・匂陳・帝后・文王・三台・玉女」という九星九宮を表す。一気に唱えることで、あらゆる災厄と魔物から身を護る最強の呪文とされ、陰陽道・修験道・密教・兵法と、あらゆる分野で即効性のある護身の言葉として重宝された。唱える際には、両手で印を結ぶ「剣印の法」と、手刀で四縦五横に「九字を切る」「破邪の法」がある。陰陽師は後者を好んだとされ、この作法は日本独自の体系として発展したものだ。

3)その他の呪文

陰陽師が毎朝唱えていたとされる呪文も伝わっている。

「元柱固真、八隅八気、五陽五神、陽動二衝厳神、害気を攘払し、四柱神を鎮護し、五神開衢、悪鬼を逐い、奇動霊光四隅に衝徹し、元柱固具、安鎮を得んことを、慎みて五陽霊神に願い奉る」

これはあくまで一例であり、信仰する神や目的に応じて内容・構成は柔軟に変えられていたようだ。このほかにも「南無成就須弥功徳神変王如来(なむじょうじゅしゅみくどくしんぺんおうにょらい)」や「縛久羅仙、久羅仙且主結願菩提羅且那 ソワカ」といった真言が用いられた記録がある。

護身作法・禁忌——日常に織り込まれた霊的秩序

陰陽師の吉凶判断は、天皇や貴族たちの日常のあり方そのものに影響を与えた。以下に挙げる作法・禁忌は、今から見れば不思議に思えるかもしれないが、平安の人々にとっては、目に見えない世界と折り合いをつけながら生きるための、真剣な知恵だった。

1)物忌み(ものいみ)

不吉な予兆を陰陽師が感知したとき、天皇や貴族に対して提案されたのが「物忌み」——自宅に謹慎し、人との接触を断つことで不吉そのものとの接触を避ける、いわば霊的な隔離だ。神道における祭祀前の心身清浄の作法とも重なり合う。

2)祓い(はらい)

物忌みより一歩踏み込み、積極的に凶兆や魔を祓い、身を清めるのが「祓い」だ。陰陽道が盛んだった平安期には月のうち日を決めて「一ノ祓」「八ノ祓」「望月ノ祓」「晦ノ祓」などが繰り返された。節分の豆撒きの起源である「追儺(ついな)」も、夏越の「名越の祓え」も、陰陽道を源流とする代表的な祓いの儀式だ。京都の上賀茂神社・下鴨神社や大阪の住吉大社の夏越祓いは今も続く風習として親しまれている。

3)方忌み(かたいみ)・方違え(かたがえ)

移動する方向に凶星が宿っているとき、その方角を「犯す」ことへの忌避が「方忌み」だ。凶方のおもなものは、金星の精とされる「大将軍」「太白神」「金神(こんじん)」が座す方角で、とくに金神は日本独自の神として11世紀末以降に登場した。「金神の七殺」——つまりその方向を犯すと本人を含む7人が死ぬという言い伝えは、一種の迷信ではあるが、当時の人々がいかに方位を恐れていたかを物語っている。「方違え」は、一旦別の方向へ迂回することで目的地への方位を変えて向かう作法とも、そもそもその方角への行き来や居住を避けるものとも解釈される。

祭祀——陰陽師が司った儀礼の世界

陰陽師の役割は占いや呪術だけにとどまらない。国家規模の祭祀を統率することもまた、重要な職責だった。その儀礼の数々には、これまで見てきたさまざまな呪術が有機的に組み込まれている。

1)泰山府君(たいざんふくん)祭

道教に由来する祭祀で、泰山府君とは中国・泰山の山神——人の寿命と福禄を司り、閻魔大王の書記とも言われる神だ。穢れを祓い、この神に延命を願う祭祀として、安倍晴明によって陰陽道の主神に位置づけられた。天皇は自らの衣や手鏡、人形などに息を吹きかけて体を撫で、穢れを移す——その所作には、天皇という存在が持つ霊的な重みが感じられる。

2)天曹地府祭(てんちゅうちふさい)

「六道冥官祭」とも呼ばれ、泰山府君祭と内容はほぼ重なるが、行われる場面が異なる。天皇の践祚(即位)という、まさに「天の子」が交代する特別な機会に一度だけ執り行われる祭祀だ。陰陽師は新しく即位した天皇を天界の神々に引き合わせ、寿命などを記した「黒簿」から旧天皇の名を削除し、新天皇の名を生者の名簿に記入させることで、天子の延命と国政の安泰を祈った。

3)御霊会(ごりょうえ)

不慮の死・謀反による処刑・失意の死——無念のうちに世を去った者の霊は怨霊となり、祟りをなすと恐れられた。その霊を鎮めて「御霊」へと昇華させるための儀礼が御霊会だ。学問の神として広く知られる京都・北野天満宮も、もとはといえば大宰府に左遷されて失意のうちに亡くなった菅原道真公の怨霊を鎮め、神として崇めるために建立されたとされる。怨霊が神になる——この逆転の発想こそ、日本的な霊的秩序の独自性を体現している。

4)追儺(ついな)

現代の「節分」の直接の起源とされる宮中行事で、大晦日に執り行われた。金面に四つ目の面をつけた「方相氏」が矛と盾を持って宮中を巡り、邪鬼を祓う所作をする。陰陽師は卜占で邪鬼の所在とその祓い方を占い、儀礼の進行を司った。

5)五龍(竜)祭

「五龍祭」の目的は雨乞いだ。古来より水を司る「水神」としても崇められてきた龍神を五体祀り、雨を願う。この祭祀については古文献にも成果が記されており、「寛弘元年七月十四日(西暦1004年8月2日)、五龍祭の執行により夜に大雨が降った」(御堂関白記)という記録が残っている。晴明自身が奉仕した祭祀として知られ、その霊験への手ごたえが感じられる貴重な証言だ。ルーツは熊野系修験道と密教にあり、龍王思想に基づく降雨の呪術として発展したと考えられる。

6)その他の祭祀

『延喜式』には、陰陽師が司った宮中の祭りとして、追儺(節分・鬼やらい)・庭火・竈神の祭・御本命祭・三元祭などが記録されている。また『文肝抄』には五帝四海神祭・北極玄宮祭・三万六千神祭・七十二星鎮祭・西嶽真人祭・大将軍祭・河臨祭・霊気道断祭・招魂祭など、実に多種多様な陰陽道祭が挙げられており、陰陽師の活動範囲の広さをあらためて実感させる。

陰陽師の必携道具

占術や呪術を実践するうえで、陰陽師にはいくつかの重要な道具があった。それぞれが単なる器具ではなく、霊的な世界と現実をつなぐ媒介として機能していた。

1)六壬式盤(りくじんちょくばん)

六壬式占を行うためのツール。四角い方盤の上に円形の天盤が乗った構造で、「地」と「天」の相関から吉凶を読み取る。呪術の道具としても活用されたと見られる痕跡があることから、陰陽師にとっての最重要ツールだったといって差し支えないだろう。

2)天球儀・渾天儀(てんきゅうぎ・こんてんぎ)

現代の地球儀にあたる天体観測ツールで、本来は天文博士の道具だ。しかし多才な陰陽師たちは、これも積極的に使いこなした。流れ星は不吉な兆し、彗星は天変地異の予兆として真剣に受け止められていた当時、天を読む道具の重要性は計り知れない。

3)勾玉(まがたま)

すべての陰陽師が持っていたという証拠はないが、古来より魔除けの守護品として知られ、陰陽の「陰」=月の神の象徴でもある勾玉を、陰陽師たちが手元に置いていたとしても不思議はない。天皇家の「三種の神器」のひとつでもある特別な品だ。

4)烏帽子(えぼし)

陰陽寮所属の陰陽師のステータスシンボルともいえる冠物だ。法師陰陽師や民間陰陽師との違いを明確にする、一種の「資格のしるし」だったと思われる。江戸時代以降、土御門家が全国の陰陽師に営業許認可を与えるようになると、免状の内容に「烏帽子をかぶることを許可する」という項目も含まれていた。

参考ホームページ・文献等

国立歴史民俗博物館 - 第447回「陰陽道と伝承文化」:https://www.rekihaku.ac.jp/event/2023_kouen_447.html

文化遺産オンライン - 辟邪絵(陰陽道の鬼神):https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/200562

CiNii Research - 日本陰陽道史研究の変遷:https://cir.nii.ac.jp/crid/1050001338400501504

晴明神社 - 境内案内(陰陽道・式神):https://www.seimeijinja.jp/guide/

文化庁 日本遺産 - ドーマン・セーマン:https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/culturalproperties/result/4295/

コトバンク - 陰陽道(日本大百科全書):https://kotobank.jp/word/%E9%91%B0%E9%99%BD%E9%81%93-35649

Wikipedia - 陰陽道:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%91%B0%E9%99%BD%E9%81%93

京都府立京都学・歴彩館 - 江戸時代の陰陽師:https://rekisaikan.jp/cms/wp-content/uploads/0115_siryo.pdf

高知県教育委員会 - 土佐の神楽(いざなぎ流):https://www.kochinet.ed.jp/bunkazai/details/300-1/300-1-m02-9.htm

J-STAGE - 陰陽道儀礼における「祭」の構造:https://www.jstage.jst.go.jp/article/shukyokenkyu/82/4/82_1147/_pdf

國學院大學 - 神道事典(陰陽道):https://www2.kokugakuin.ac.jp/s-data/s_jiten/jiten.html

陰陽道史研究の会 - 公式ブログ:http://onmyodo-shi.blogspot.com/

CiNii Books - 新陰陽道叢書:https://ci.nii.ac.jp/ncid/BN11029191

国際日本文化研究センター - 妖怪怪異画像データベース:https://shinku.nichibun.ac.jp/yokai/index.html

Wikipedia - 陰陽師:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%91%B0%E9%99%BD%E5%B8%AB

東京大学 - 東洋文化研究所(道教と陰陽道):https://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/research/project/onmyodo.html

早稲田大学 - 古典籍総合データベース(陰陽道):https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/search.php?cndbn=%E9%91%B0%E9%99%BD%E9%81%93

東北大学 - 日本思想史研究室:https://www.sal.tohoku.ac.jp/j-thought/research.html

文化庁 - 宗教年鑑(民間信仰と陰陽道):https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/hakusho_nenjihokokusho/archive/pdf/93985501_08.pdf

京都観光Navi - 晴明神社と安倍晴明:https://ja.kyoto.travel/tourism/single01.php?category_id=7&tourism_id=389

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