アマビエ伝承の核心を成すのは、「その姿を写し描いた絵を人々に見せることで疫病から逃れられる」という観念である 。これは、単なる絵画鑑賞を超え、絵や像そのものに何らかの呪術的な力が宿ると信じる、日本の古層に根ざした民間信仰と深く結びついている。歴史を紐解けば、我が国では古来より、特定の図像や文字、シンボルを記した「護符(おふだ・お守り)」が、様々な災厄、特に疫病を退けるための霊的な防具として用いられてきた 。
例えば、平安時代に起源を持つとされる元三大師(角大師)の護符は、その恐ろしい姿で疫病神を追い払うと信じられ、家々の門口に貼られる風習があった 。また、江戸時代に疱瘡(天然痘)や麻疹(はしか)といった恐ろしい感染症が大流行した際には、「疱瘡絵」や「はしか絵」と呼ばれる多色刷りの錦絵が数多く制作され、これらもまた病除けの護符としての役割を担った 。これらの絵には、病魔を打ち払うとされる鍾馗(しょうき)や源為朝(みなもとのためとも)といった神仏や英雄の姿、あるいは病気に関する情報や対処法、さらには呪文やまじないなどが描かれており、人々はこれらを病人の枕元に飾ったり、家の入り口に掲げたりすることで、目に見えない脅威から身を守ろうと試みたのである 。アマビエの絵図もまた、この伝統的な「見る護符」「描く護符」の系譜上に位置づけられるものであり、その図像自体が持つとされる霊力への期待が、信仰の根底に存在したと解釈できる 。
アマビエの絵が護符として機能するという信仰において特筆すべきは、単にその絵が持つとされる内在的な力だけでなく、「人々に見せる」という「共有」の行為によって、その呪術的な効果が増幅されると考えられた点である。これは、個人的な祈願や護符の所持といった閉じた行為を超えて、より広範な集団的レベルでの防衛意識と精神的な連帯感を生み出すメカニズムと言えよう。アマビエの姿を多くの人々が目にし、自らも描き、そして他者へと広めていくという一連のプロセス自体が、共同体全体で厄災に立ち向かうという、一種の儀礼的行為の様相を帯びていたのではないだろうか。この「共有による力の増幅」という観念は、目に見えないものを媒介として繋がるという、日本人の伝統的なコミュニケーションのあり方や、集団的な祈願の力を信じる心性とも深く関わっているように思われる。
2020年の新型コロナウイルス感染症のパンデミックという未曽有の事態において、アマビエがこれほどまでに広範な人々の心を捉え、一大ブームを巻き起こした背景には、複数の要因が複雑に絡み合っていると考えられる。まず、その視覚的な特徴として「可愛らしさ」や「親しみやすさ」が挙げられるであろう 。原典である瓦版に描かれたアマビエの姿は、稚拙ながらもどこかユーモラスな印象を与え、恐怖よりもむしろ愛嬌を感じさせるものであった。これを元にした現代の多くのイラストレーターや一般の人々による二次創作も、その多くがキャラクターとしての魅力を前面に出したものであり、他の威圧的な姿で描かれることの多い予言獣(例えば神社姫など)とは一線を画し、人々の警戒心を解き、受け入れられやすい素地を提供した 。
しかし、より本質的な理由は、アマビエが混乱と不安の時代における「希望の象徴」として機能した点にある。未知のウイルスに対する恐怖、先の見えない社会状況、そして日常が奪われることへの喪失感が広がる中で、「疫病退散」という明確なメッセージと具体的な(とされる)対処法を携えて現れたアマビエは、人々に一条の光を与え、前向きな気持ちと困難に立ち向かう意志を喚起したのである。これは、例えば中世ヨーロッパでペストが大流行した際に「死神」のモチーフが美術作品等に頻繁に登場し、死の不可避性や諦観が表現されたのとは対照的である。アマビエはむしろ、「この困難を乗り越えよう」という能動的でポジティブな意志を体現し、人々の心を力づけたのだ 。
さらに、アマビエの絵を描き、それをSNSなどのプラットフォームを通じて共有するという行為は、物理的な移動や接触が厳しく制限されたパンデミック下において、人々に希薄になりがちな「繋がりの感覚」をもたらしたという側面も無視できない 。同じアマビエというモチーフを介して、多くの人々が同じ願いや不安を共有し、目に見えない脅威に対して社会全体で連帯して立ち向かっているという意識が醸成されたのである 。アマビエは、孤立しがちな個々人を繋ぎ、社会的な絆を再確認させるための、いわば現代的な「結節点」としての役割を果たしたと言えよう。
現代社会において、アマビエの存在は単なる伝承上の妖怪に留まらず、その影響力は多岐にわたる文化的・経済的現象へと発展した。神社仏閣ではアマビエをモチーフとした御朱印やお守りが授与され、食品業界ではアマビエをかたどった和菓子やパン、飲料などが登場し、さらには現代アートの領域でもアマビエをテーマとした作品展が開催されるなど [15, 16]、その姿はあらゆる場面で目にされるようになった。興味深い事例としては、警視庁赤坂警察署が火災予防を呼びかけるポスターにアマビエのイラストを採用したことも報じられており、その役割が当初の疫病退散という枠組みを超えて、より広範な厄除けや啓発のシンボルへと拡張しつつあることを示唆している。
このアマビエ現象の多層的な広がりは、単なる一時的な流行として片付けることはできない。それは、日本人の精神構造の深層に横たわる文化的特性を反映した、注目すべき現象として捉える必要がある。例えば、民俗学者の折口信夫が提唱した「まれびと(稀人)」の概念との関連性である。アマビエは、海の彼方という異界から来訪し、吉凶禍福の情報を伝え、特定の行動(自身の姿を描き写す)を要求する存在であり、これはまさに「まれびと」が持つとされる特徴と軌を一にする。異界からの来訪者がもたらす超自然的な力や情報に期待し、それを受け入れることで共同体の安寧を保とうとする古来の信仰の形が、アマビエという存在を通じて現代に蘇ったと見ることも可能である。また、スイスの心理学者カール・グスタフ・ユングが提唱した元型(アーキタイプ)や集合的無意識といった観点からこの現象を読み解くならば、アマビエは、パンデミックという世界的な危機的状況において、人々が救済や希望、あるいは現状打破といった普遍的な願望を投影する対象、すなわち「救済者元型」や「トリックスター元型」の現代的な顕現であったと解釈することもできるだろう。アマビエの「姿を描き写す」という具体的な行為は、例えば「ヒダル神」の伝承が飢餓に対する具体的な対処法(予備の食料を持つ)を教訓として伝えるように、見えない不安に対して何らかの能動的なアクションを起こすことを促し、それによって心理的な安定やコントロール感を得ようとする人間の普遍的な対処メカニズムの発露とも考えられる。日本の豊かな妖怪伝承や多様な疫病神信仰の文脈の中にアマビエを位置づけることで [8, 22]、その現代における爆発的な受容の意味合いは、より一層深まっていくのである。アマビエ現象は、日本人の伝統的な世界観や信仰のあり方、そして危機に際して発動される集合的無意識のダイナミズムが、SNSという現代的なメディア環境と相互作用することで顕現した、きわめて今日的な、そして同時に古層に根ざした複合的文化現象であると言えるだろう。
アマビエという存在は、江戸時代後期の一枚の瓦版から蘇り、21世紀のパンデミック下において、日本社会、さらには世界の一部にまでその名を知られるに至った稀有な妖怪である。その起源は「アマビコ」なる存在の誤記である可能性が高いとされながらも 、その奇異な姿と「豊作と疫病の予言、そして自らの姿を写し見せることによる厄除け」という伝承は、時代を超えて人々の心に強い印象を残した。
アマビエの出現と伝承は、当時の社会が抱えていた疫病への深刻な不安を背景としている 。科学的な知見や医療技術が未発達であった時代において、人々は目に見えない脅威に対し、超自然的な存在に救いを求め、その言葉に耳を傾けた。アマビエの図像が護符としての力を期待されたのは、日本の民間信仰における絵や像の呪術的な力への信頼と、災厄を具体的な形にして対処しようとする伝統的な思考様式の現れであった 。
2020年の再流行は、SNSという現代のテクノロジーが、かつての瓦版と同様、あるいはそれ以上の速度と範囲で情報を伝播させ、さらに人々の「参加」を促すことで、伝承を現代的な形で再活性化させた事例と言える 。アマビエの「可愛らしさ」や「希望の象徴性」は、不安な状況下で人々に安らぎと連帯感を与え、厚生労働省による啓発アイコンへの採用は、その社会的受容を決定的なものにした 。
アマビエ現象の深層には、日本人の伝統的な「まれびと信仰」や、危機における集合的無意識の働きといった、より根源的な精神構造が横たわっていると考えられる 。それは、目に見えない脅威に対し、人々が古来より培ってきた文化的・心理的メカニズムを用いて対処しようとする姿を映し出している。アマビエは、単なる過去の妖怪ではなく、現代社会が抱える不安や希望、そして人と人との繋がりのあり方を問いかける、鏡のような存在なのである。その物語は、これからも時代時代の状況を反映しながら、新たな解釈と共に語り継がれていくことであろう。