真霊論-アラクネ

アラクネ

【目次】
序章:神話の裏に潜む真実、アラクネという存在
第一章:リュディアの織女、神への挑戦
第二章:蜘蛛への変容、その秘儀的解釈
第三章:運命を紡ぐ者、創造の女神としての蜘蛛
第四章:糸と結び目の呪術的世界観
第五章:世界の神話に張り巡らされた蜘蛛の巣
第六章:蜘蛛の吉凶、光と影の二元性
第七章:神々の偽善を暴く声
第八章:変容するアラクネ、現代に蘇る魔女
終章:アラクネが我々に問いかけるもの
参考元

序章:神話の裏に潜む真実、アラクネという存在

我々が「神話」と呼ぶ物語は、単なる過去の空想や教訓話ではない。それは、人類の集合的無意識の深淵から紡ぎ出された、霊的かつ心理的な真実を内包する暗号文書なのである。その中でも、ギリシャ神話に登場するアラクネの物語は、ひときゆわ異彩を放っている。一般的には、自らの技術を過信し、神に挑戦したことで蜘蛛に変えられた傲慢な娘の悲劇として語られる。しかし、オカルト的視座からこの物語を読み解くとき、その表層的な解釈は剥がれ落ち、より深く、より根源的な構造が姿を現すのだ。

現代のファンタジー作品などでは、アラクネはしばしば上半身が美しい女性で、下半身が巨大な蜘蛛という恐ろしい怪物の姿で描かれる。しかし、これは後世に歪められたイメージに過ぎない。物語の原典を紐解けば、そこにいるのは怪物ではなく、卓越した技術を持つ一人の人間であり、彼女が変えられたのも、家の隅で網を張る小さく無力な蜘蛛であった。このイメージの乖離こそが、アラクネという存在が持つ秘教的真実への入り口となる。

アラクネの物語は、人間の創造性と神々の権威との間に横たわる永遠の緊張関係、芸術が持つ真実を告発する力、そして確立された権力構造に挑むことの危険性を象徴している。古代リュディアで紡がれた彼女の物語の糸は、時空を超えて我々の魂に絡みつき、魔術、運命、そして創造という行為そのものの本質を問いかけてくるのである。本稿では、このアラクネという存在を多角的に分析し、その神話に隠された深遠なるオカルト的意味を解き明かしていく。

第一章:リュディアの織女、神への挑戦

アラクネの物語の核心は、ローマの詩人オウィディウスが著した『変身物語』に最も詳しく記されている。彼女は小アジアのリュディア地方、染物の名手イドモーンの娘として生を受けた。彼女の名声は、その生まれや家柄によるものではなく、純粋に彼女自身の比類なき機織りの腕前によってのみ築かれたものだった。その手仕事はもはや魔法の域に達し、森のニンフたちですら遊びを中断して見惚れるほどであったと伝えられる。

人々は口々に、その技術は技芸を司る女神アテナから授かったものに違いないと噂した。しかし、アラクネはそれを断固として否定する。「この腕は誰から教わったものでもない、私自身のものだ」と。これは単なる自慢ではない。神の恩寵に頼らず、人間の努力と才能だけで至高の領域に達することができるという、人間主権の宣言だったのである。

この不遜な言葉は、当然ながら女神アテナの耳に届く。アテナは老婆に姿を変え、アラクネの前に現れ、神に挑むことの愚かさを説き、悔い改める機会を与えようとした。だが、アラクネはその忠告を一笑に付し、女神本人との腕比べを望む。その瞬間、アテナは神としての真の姿を現し、挑戦は受諾された。こうして、神と人間による機織り対決の火蓋が切って落とされたのである。

この対決は、単なる技術の優劣を競うものではなかった。それは、糸で紡がれる「物語」の支配権を巡るイデオロギー闘争であった。

先攻のアテナが織り上げたタペストリーは、オリュンポスの神々の威光と、神々に逆らった人間たちが罰せられる様を描いた、荘厳なものであった。それは神の秩序の正当性と、それに従わぬ者への警告を織り込んだ、完璧なプロパガンダ作品だった。

対するアラクネのタペストリーは、全く異なる物語を紡ぎ出した。彼女が描いたのは、神々の堕落と偽善であった。特に、アテナの父である大神ゼウスが、雄牛や白鳥など様々な姿に化けては、人間の女性たちを欺き、陵辱する好色な場面を、赤裸々に織り上げたのである。それは神々の権威を根底から揺るがす、告発の芸術であった。

結果は明白だった。アラクネの作品は、技術において一点の非の打ちどころもなかった。嫉妬に燃えるアテナですら、その完璧な出来栄えに欠点を見出すことはできなかったのである。しかし、アテナは勝敗を認める代わりに、その不敬な内容に激怒した。彼女はアラクネのタペストリーをズタズタに引き裂き、杼(ひ)でアラクネの額を何度も打ち据えた。アテナの行動は、公正な審判者のそれではなく、自らの権威を脅かす真実を前に、暴力によって対抗する暴君の姿そのものであった。アラクネの「罪」とは、技術の傲慢さではなく、芸術を用いて危険な真実を語ったことだったのである。彼女への罰は、反体制的な声を封殺するための、政治的な検閲行為に他ならなかったのだ。

第二章:蜘蛛への変容、その秘儀的解釈

女神アテナによる理不尽な暴力と、自らの最高傑作の破壊を前に、アラクネは絶望し、首を吊って自ら命を絶とうとする。これは罪の告白ではなく、不正な権力による完全な支配を拒絶する、最後の抵抗行為であった。しかしアテナは、彼女から死という逃避さえも奪い去る。女神はアラクネの命を救うと見せかけ、トリカブトの汁を振りかけ、彼女を蜘蛛の姿に変えてしまったのだ。そして、「お前もお前の子孫も、永久に空から吊り下がって、糸を紡ぐがいい」と、永遠の呪いを宣告するのである。

ここで重要なのは、オウィディウスの原典において、アラクネは半人半蜘蛛の怪物になったわけではないという点だ。彼女はただの小さな蜘蛛に変えられた。かつてはニンフさえ魅了した芸術家が、今や人知れず巣を張り、獲物を待つだけの、本能に生きる虫へと貶められたのである。これは、彼女の芸術的才能に対する最も残酷な罰であった。世界を揺るがす物語を紡いだその能力は、ただ生きるための罠を作るという、名誉も栄光もない強迫的な労働へと矮小化されたのだ。

後世、特にダンテが『神曲』煉獄篇において「傲慢」の罪の象徴として、下半身がすでに蜘蛛と化したアラクネの姿を描いたことで、彼女の怪物としてのイメージは決定的なものとなった。現代のファンタジー作品に登場する「アラクネ」という種族は、この歪められたイメージの末裔である。この変遷は、アラクネの「神への挑戦」という知的・政治的な反逆が忘れ去られ、単なる道徳的な「罪」として単純化されていく過程を示している。そして、その罪を視覚的に表現するために、彼女の身体そのものが怪物へと変えられていったのである。

この変容は、オカルト的には、強力な女性性の象徴的去勢と解釈できる。声を上げ、物語を創造し、権力に異を唱えた女性芸術家が、言葉を奪われ、その創造行為を家庭的(巣作り)かつ本能的なものへと「格下げ」される。これは、歴史を通じて繰り返されてきた、女性の知的・芸術的表現を抑圧する構造の、神話的寓意なのである。

第三章:運命を紡ぐ者、創造の女神としての蜘蛛

アラクネの物語をさらに深く理解するためには、ギリシャ神話における「織る」という行為そのものが持つ、根源的な意味に目を向けねばならない。ギリシャの世界観において、森羅万象の運命を司るのは、オリュンポスの神々すら逆らえない「運命の三女神(モイライ)」であった。彼女たちの名は、生命の糸を「紡ぐ者」クロートー、「割り当てる者」ラケシス、そしてその糸を「断つ者」アトロポス。つまり、生命と運命そのものが、一本の「糸」として観念されていたのである。

「織る」という行為は、単なる手仕事ではなく、運命を創造し、現実を構築する神聖な儀式であった。この観念はギリシャに限らず、北欧神話の運命の女神ノルンたちもまた織女であり、ラテン語の「運命(destino)」という言葉も、織る、あるいは縛るといった意味合いを持つ。

この文脈にアラクネを置くとき、彼女の挑戦が持つ真の意味が明らかになる。一介の人間に過ぎない彼女が、機織りという神聖な技芸において女神と互角、あるいはそれ以上に渡り合ったということは、彼女が運命を創造する神々の領域に足を踏み入れたことを意味するのだ。彼女は布を織っていたのではない。神々の偽善を暴くという、新たな「宇宙の物語(コスモロジー)」を、新たな「運命」を織り上げていたのである。これは、神々にとって最も許しがたい越権行為であった。

アラクネの物語は、ギリシャ神話におけるもう一人の反逆者、プロメテウスの悲劇と響き合う。プロメテウスが天上の「火」(知恵と技術の象徴)を盗み、人類にもたらしたことで永遠の罰を受けたように、アラクネは「機織り」(現実を創造し、物語る力)という神々の秘儀を極め、それを神々自身を告発するために用いたことで、永遠の呪いを受けた。二人とも、神々が独占していた力を人間の領域に持ち込もうとしたがゆえに罰せられたのである。彼女の物語は、人間の傲慢さを戒める教訓話などではない。それは、神々の領域の力を手にした人間に対する、神々の嫉妬と恐怖の物語なのだ。

第四章:糸と結び目の呪術的世界観

アラクネの物語の背景には、「糸」や「結び目」が持つ、古代から続く呪術的な世界観が広がっている。糸は、目に見えない力、因果、霊的なエネルギーを物理的に具現化したものであり、それを操ることは、すなわち魔術の実践であった。

その最も象徴的な例が、ギリシャ神話における「アリアドネの糸」である。英雄テセウスが怪物ミノタウロスの棲む迷宮(ラビリンス)に挑む際、クレタの王女アリアドネは彼に糸玉を授ける。彼はその糸をたどり、複雑怪奇な迷宮から無事に生還することができた。ここで糸は、混沌とした無意識の領域や困難な状況を切り抜けるための「導き」や「知恵」の象徴として機能している。

さらに実践的な魔術として、「結び目の魔術(ノット・マジック)」が世界各地に存在する。これは、糸や紐に結び目を作ることで、願いや呪いを封じ込め、解くことでそれを解放するという、共感魔術の一種である。結び目は意図を「縛り」、エネルギーを「蓄える」ための物理的な器となるのだ。特に「ウィッチズ・ラダー(魔女の梯子)」として知られる呪具は、定められた数の結び目と、羽などの呪物を編み込んだ紐であり、古くから呪詛や祈願に用いられてきた。

このような信仰は、我が国日本においても深く根付いている。戦時中、兵士の武運長久を祈って千人の女性が布に一針ずつ玉結びを施した「千人針」は、集合的な祈りの力を糸に込めた強力な護符であった。また、幼子の着物の背中に縫い付けられた「背守り」は、背後から忍び寄る魔から魂を守るための呪術的な縫い目だったのである。

古代の手術で傷口を縫合するために亜麻糸や動物の腸が用いられたように、糸は古来、バラバラになったものを「繋ぎ」、傷を「癒し」、そして人と人、人と神、現世と異界を「結ぶ」ための、聖俗両面にわたる重要な媒体であった。アラクネの機織りとは、この糸が持つ呪術的な力を、芸術という最高位の次元で駆使する行為であった。彼女の織機は祭壇であり、その指先から繰り出される糸は、現実を編み変えるほどの力を秘めていたのである。

第五章:世界の神話に張り巡らされた蜘蛛の巣

アラクネの物語が持つ特異性は、世界の他の神話における蜘蛛の役割と比較することで、より一層鮮明になる。ギリシャ・ローマ世界がアラクネを罰した一方で、多くの文化圏では蜘蛛は崇敬や畏怖の対象であった。

北米先住民、特にナバホ族やホピ族の伝承に登場する「スパイダーウーマン(蜘蛛女)」は、創造神として篤く信仰される存在である。彼女は世界と生命の創造を助けた偉大な女神であり、何よりも重要なのは、彼女が人類に「機織りの技術を授けた」とされている点だ。アテナが自らの独占物とした技術を、スパイダーウーマンは人類の繁栄のための「贈り物」として与えた。そこには競争も嫉妬もなく、神と人間の協調的な関係が存在する。これは、アラクネとアテナの対立関係とは全く逆の構造である。

西アフリカからカリブ海地域にかけて語り継がれるトリックスター神「アナンシ」もまた、蜘蛛の姿をとる。アナンシは腕力ではなく、その知恵と狡猾さによって、自分より強大な敵を打ち負かす文化英雄だ。ある神話では、アナンシは天空神ニャメが独占していた「全ての物語」を、数々の難題を知恵で解決することによって勝ち取り、世界にもたらしたとされる。アナンシは、アラクネと同様に高次の存在に挑戦するが、彼はその狡知を称賛され、英雄となる。彼の物語は、抑圧された人々が知恵によって権力者を出し抜くことの痛快さを語り、特に奴隷として新大陸へ連れてこられたアフリカの人々にとって、抵抗の象徴となった。

一方、日本の妖怪譚には、アラクネの物語の影の部分と共鳴する存在が見られる。「絡新婦(じょろうぐも)」は、美しい女性に化けて男を誘惑し、餌食にする恐ろしい妖怪である。また、淵や川に棲む巨大な蜘蛛が、人を水中に引きずり込むという伝承も各地に残っている。これは蜘蛛が持つ捕食者としての一面、すなわち「罠を張り、死をもたらす存在」としての側面が強調されたものだ。

これらの比較から浮かび上がるのは、アラクネ神話の異常性である。スパイダーウーマンの「創造性」とアナンシの「反逆精神」、その両方を兼ね備えていたアラクネは、他の文化圏であれば女神や英雄として称えられたかもしれない。しかし、家父長的で厳格な権威主義を特徴とするオリュンポスの神々の体系において、その資質は許されざる「罪」とされた。このことから、アラクネの物語は、人間の傲慢さに関する普遍的な教訓などではなく、ギリシャ・ローマの権力構造が、独立した女性の創造性と知的反抗をいかに許容しなかったかを示す、極めて文化固有の記録である可能性が高い。あるいは、それはオリュンポス信仰の拡大に伴い、土着の偉大な織物の女神が征服され、神格を剥奪されて悪しき存在へと貶められた歴史の記憶が、神話として残ったものなのかもしれない。

第六章:蜘蛛の吉凶、光と影の二元性

蜘蛛という生き物は、その存在自体が光と影、吉と凶という二元性を内包している。それは、オカルト思想の根幹をなす「万物は二つの側面を持つ」という原理を完璧に体現する象徴なのである。

光の側面として、蜘蛛はしばしば神聖な存在と見なされる。日本では古くから「朝蜘蛛」は縁起が良いとされ、神の使いや幸運の訪れを告げる吉兆と考えられてきた。蜘蛛の巣を辛抱強く作り上げる姿は、創造性、勤勉、そして忍耐の象徴でもある。また、蜘蛛は害虫を捕食することから、家を守る守り神としての側面も持つ。キリスト教以前のヨーロッパや、一部の東洋の信仰では、蜘蛛は神の使いとして崇められていたのである。

一方で、蜘蛛は強力な影の側面も持つ。日本では「夜蜘蛛」は盗人や不吉の前兆とされ、忌み嫌われる。蜘蛛の巣は、その美しさとは裏腹に、獲物を捕らえて命を奪うための致死的な罠である。このことから、蜘蛛は悪意、策略、欺瞞の象徴ともされる。中世のキリスト教世界では、勤勉なミツバチと対比され、魂を絡めとる悪魔の手先として邪悪視された。そして何より、一部の蜘蛛が持つ「毒」は、死と恐怖を直接的に連想させる。

この根源的な二元性を理解することが、アラクネの悲劇の本質を捉える鍵となる。蜘蛛の第一の行為は、美しく幾何学的な巣を「創造」することである。これは宇宙の秩序を体現する光の行為だ。しかし、その創造物の目的は、獲物を捕らえ「破壊」することにある。これは影の行為である。創造と破壊、生と死は、蜘蛛の巣という一つの存在の中で分かちがたく結びついている。

アラクネの物語は、この二元性の悲劇的な顕現と言える。彼女は、蜘蛛が持つ「創造」という光の側面を極め、神をも凌駕する芸術を生み出した。しかし、その罰として、彼女は獲物を絡めとる「破壊」という影の側面を永遠に生きることを強いられたのである。日本の朝蜘蛛と夜蜘蛛の俗信は、この分かちがたい二元性を、昼と夜という時間軸に投影して無理やり分離しようとする民衆の試みであった。しかし、アラクネの神話は、光と影は決して切り離せないという、より根源的な真実を我々に突きつけるのである。

第七章:神々の偽善を暴く声

アラクネの物語を、権力と抵抗という社会政治的な観点から読み解くとき、彼女は単なる悲劇のヒロインから、体制に反逆した革命家の姿へと変貌する。彼女のタペストリーは、神々への無差別な侮辱ではなかった。それは、男性神による女性への組織的な性的暴力を告発する、極めて的を絞った政治的声明だったのである。彼女は、神々の手によって声も名も奪われた犠牲者たちの物語を、芸術という形で代弁したのだ。

この物語は、家父長制社会の内部における、二人の女性像の対立として解釈することもできる。一方は、父権の象徴たるゼウスの頭から生まれ、その秩序を守護する女神アテナ。彼女は、体制に順応することで力を得る「許容される女性」の原型である。もう一方は、民の中から自らの才能でのし上がったアラクネ。彼女は、その秩序を脅かす独立独歩の「危険な女性」の原型だ。アテナがアラクネの織機を破壊した行為は、彼女の経済的自立の手段を奪うという象徴的な意味も持つ。女性の労働が力を持つことを恐れる家父長制社会の寓話として、この物語は現代にも通じる鋭い批判性を帯びている。

ごく一部に伝わる異伝として、アラクネにはファランクスという兄弟がおり、二人は近親相姦の罪を犯したためにアテナによって蜘蛛に変えられた、というものがある。この異伝は、アラクネの反逆が持つ本来の政治的な意味合いを隠蔽し、代わりに性的なタブーというスキャンダラスな罪を被せることで、彼女を貶めようとする後世の意図が働いた結果である可能性が考えられる。

オカルト的な視点に立てば、アラクネは、為政者にとって不都合な真実を暴いたがゆえに罰せられたシャーマンや魔女の原型である。彼女の機織りは、公式な教義というヴェールの向こうに隠された真実の姿を映し出す、一種のスクライング(水鏡占い)や霊視であった。権力者(アテナ)の反応は、その真実と向き合うことではなく、メッセンジャーとメッセージそのものを破壊することであった。これは、歴史上繰り返されてきた魔女狩りや異端審問と全く同じ構造を持つ。

したがって、アラクネは罪人ではなく、真実のために殉じた殉教者なのである。彼女は、自らの身に危険が及ぶことを承知の上で、その創造物を用いて不正を告発しようとする、全ての芸術家、思想家、表現者たちの守護聖人と言えるだろう。彼女の物語は、権力と真実との間に繰り広げられる、終わることのない戦いのための、永遠の寓話なのである。

第八章:変容するアラクネ、現代に蘇る魔女

アラクネの物語は、古典古代の終焉と共に終わったわけではない。彼女のイメージは、時代ごとの価値観を反映しながら変容を続け、現代において新たな形で再生を遂げようとしている。

中世ヨーロッパにおいて、キリスト教的価値観が支配的になると、アラクネの知的・政治的反逆は忘れ去られ、ダンテの『神曲』に見られるように、七つの大罪の一つ「傲慢」の化身として断罪された。この時点で、彼女はすでに半人半蜘蛛の姿で描かれ、怪物化への道を歩み始めていた。そして現代、特にロールプレイングゲームやファンタジー小説といった大衆文化の中で、彼女の悲劇的な背景は完全に剥ぎ取られ、単に冒険者の前に立ちはだかる「蜘蛛女」という記号的なモンスターとして消費されるに至った。これは、彼女の象徴性が最も希薄になった段階と言えるだろう。

しかし、この流れは近年、大きな転換点を迎えている。フェミニズム思想の台頭と、それに伴う神話の再解釈によって、アラクネの物語は再び光を当てられることになった。彼女の「傲慢」は「勇気ある自己主張」として、彼女の「不敬」は「権力への正当な批判」として読み替えられるようになったのである。

この動きと並行して、現代のネオペイガニズムや魔女宗(ウイッチクラフト)の実践者たちの間で、アラクネを再評価し、崇拝の対象とする動きが生まれている。彼らにとって、アラクネは罰せられた人間ではなく、独自の力を持つ女神、あるいは偉大な精霊として認識される。彼女は、機織りや手芸といった創造的な技術の守護者であり、特に体制に挑むような、反骨精神に満ちた芸術家たちのインスピレーションの源泉となっているのだ。

彼女の変容は、もはや単なる呪いではなく、生き残りの証と見なされる。破壊され、抹殺されるはずだった彼女は、姿を変えて生き延び、その本質である創造行為を続けた。アラクネは、圧倒的な抑圧に直面しながらも屈しない、レジリエンス(回復力)の象徴として、現代に蘇ったのである。アラクネのイメージの変遷は、社会が女性の力や芸術性をどのように捉えてきたかを映し出すバロメーターであり、抑圧された聖なる女性性の原理が、長い冬の時代を経て、再びその力を取り戻しつつあることを示している。彼女の物語は、まさに円環を閉じたのだ。

終章:アラクネが我々に問いかけるもの

アラクネは、一つの固定された意味を持つ存在ではない。彼女は誇り高き芸術家であり、政治的反逆者であり、沈黙させられた女性であり、運命の織女であり、呪われた獣であり、そして現代に再生した女神でもある。彼女の多面的な姿は、創造し、真実を語ろうとする人間の根源的な衝動と、それに伴う計り知れないリスクを体現している。

彼女の物語は、我々が生きるこの現実が、無数の「物語」によって織り上げられていることを教えてくれる。権力者は常に、自らのタペストリーこそが唯一の真実であると主張し、その物語の支配を試みる。しかしアラクネは、たとえその糸が自らの内から紡ぎ出され、その織機が世界の片隅にある小さなものであっても、我々には自分自身の物語を織り上げる力があることを示している。

最終的に、アラクネの神話が我々に突きつけるのは、全ての創造者、全ての思索家、そして内から湧き上がる衝動に従って何かを生み出そうとする全ての魂に向けられた、一つの問いである。「たとえそれが神々を怒らせることになろうとも、汝は、汝が見たままの真実を織り上げる覚悟があるか?」と。彼女の物語は、傲慢さへの警告ではない。それは、飼いならされることを拒んだ創造的精神が持つ、恐ろしくも美しく、そして不可欠な力の、永遠の証なのである。

宇宙を一つの巨大な蜘蛛の巣、あるいはタペストリーと見なすならば、ほとんどの存在はその網に絡めとられたまま、定められた運命を生きる。しかし、アラクネは、我々が単なる獲物ではなく、織り手でもあることに気づいた覚醒した魂の象徴だ。我々には、自らの糸でそのタペストリーに新たな模様を加え、世界を編み変える力が秘められている。既存の秩序は、その変化を恐れ、我々を貶めようとするだろう。しかし、たとえ小さく無力な蜘蛛の姿に変えられようとも、アラクネが糸を紡ぎ続けたように、個々の魂が持つ創造の衝動は、決して消し去ることはできない。その一本一本の糸は、小さくとも確実に、偉大なる宇宙のタペストリーを、永遠に変容させ続けるのである。

参考元

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