真霊論-丑の刻参り

丑の刻参り

【目次】
序章:闇に蠢く呪詛の姿
呪いの源流を辿る
橋姫、嫉妬の鬼女
呪詛の完成形へ
儀式の作法と禁忌
呪具に込められし意味
呪いが生まれる聖地
呪い返しと神々の罰
現代に生きる丑の刻参り
終章:呪いという人の業
参考元

序章:闇に蠢く呪詛の姿

草木も眠る丑三つ時、すなわち現代の時刻で言えば午前二時から二時半頃。人の気配が絶え、常世と現世の境界が曖昧になるその時刻、神域の奥深くで、ある儀式が執り行われる。闇に浮かび上がるのは、純白の死装束に身を包んだ一人の女の姿であった。その顔は白粉で塗り固められ、乱れた髪を振り乱し、頭上には逆さにされた鉄輪(かなわ)が載せられている。鉄輪の三本の脚には三本の蝋燭が立てられ、ゆらめく炎がその鬼気迫る表情を不気味に照らし出すのです。

胸には神域の邪気を祓うための鏡を下げ、口には一本の櫛、あるいは剃刀を咥えていることもある。そしてその手には、金槌と五寸釘、そして呪うべき相手に見立てた藁人形が握られているのだ。女は神社の御神木へと歩み寄り、憎しみを込めた眼差しで藁人形を木に押し当てると、甲高い音を立てて五寸釘を打ち込み始める。カーン、カーン、と静寂を切り裂く槌音だけが、闇夜の境内に響き渡るのである。

これこそが、日本に古来より伝わる最も禍々しい呪詛の儀式、「丑の刻参り」として我々が知る姿だ。しかし、この一般に流布するイメージは、単なる呪いの作法に留まるものではない。それは、何世紀にもわたって人々の心に深く刻み込まれてきた、一つの文化的記憶であり、恐怖の象徴なのである。能や浮世絵、そして現代の様々な媒体を通じて繰り返し描かれてきたこの情景は、嫉妬や怨念といった人間の根源的な情念が、超自然的な力と結びついた時にいかなる恐ろしい形をとるかを、我々にまざまざと見せつける。それは単なる儀式の手順書ではなく、闇、復讐、そして聖なるものの冒涜といった、人が抱く原始的な恐怖を呼び覚ますための、完璧に演出された呪術劇なのだ。この報告書では、その劇の裏に隠された、呪いの真の姿を解き明かしていくこととする。

呪いの源流を辿る

今日、丑の刻参りといえば、人を呪い殺すための邪法という印象が極めて強い。しかし、その源流を遡ると、驚くべき事実に突き当たる。元来、「うしのときまいり」という言葉は、呪詛とは全く無縁の、心願成就を祈る敬虔な信仰行為を指していたのである。

その中心地となったのが、京の奥座敷に鎮座する貴船神社であった。貴船神社は古来より水の神、高龗神(たかおかみのかみ)を祀る強力な霊地として知られている。この神社の縁起には、「貴船の神が丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻に降臨した」という伝承が存在する。このため、「丑の刻」は、神との交信が最も成り立ちやすい、極めて神聖な時間帯であると信じられていたのだ。この時刻に参拝すれば、いかなる願いも聞き届けられるとされ、多くの人々が祈願のために夜の闇の中、貴船を目指したのである。平安時代の女流歌人、和泉式部が夫との復縁を願って貴船神社に参詣し、その願いを成就させたという逸話は、当時の丑の刻参りが本来持っていた肯定的な側面を物語っている。

しかし、聖なる力というものは、本質的に両義的な性質を持つ。光が強ければ、それだけ濃い影が生まれるように、願いを叶える絶大な力は、同時に人を害するための力にも転用されうるのだ。神域へと繋がる霊的な経路は、善意の祈りだけでなく、憎悪や嫉妬といった強烈な負の感情をも通してしまう。丑の刻参りが祈願から呪詛へとその貌を変えていった過程は、神聖な力が人間の激しい情念によっていかに容易く汚染され、 profane(世俗的、冒涜的)な目的のために乗っ取られてしまうかを示す、一つの象徴的な事例と言えよう。呪詛としての丑の刻参りは、全く新しい儀式として発明されたわけではない。それは、既存の神聖な「技術」を、真逆の目的のために転用(リパーパス)した結果、この世に生まれ落ちた禁断の果実だったのである。神の力そのものは中立であり、それに善悪の色付けをするのは、いつの時代も我々人間の心に他ならないのです。

橋姫、嫉妬の鬼女

丑の刻参りの原型、その呪詛としての始まりを語る上で、決して避けて通れない存在がいる。それこそが、嫉妬の炎にその身を焼かれ、生きながらにして鬼女と化したと伝えられる「宇治の橋姫」である。『平家物語』の異本である「剣巻(つるぎのまき)」に記されたこの伝説は、丑の刻参りの精神的な核を形成していると言っても過言ではない。

嵯峨天皇の御代、ある公卿の娘がいた。彼女は夫に裏切られ、自分以外の女を愛した夫と、その女への凄まじい嫉妬心に苛まれていた。その憎しみは常軌を逸し、ついに彼女は貴船神社へと足を運ぶ。そして七日七晩にわたり、「貴船大明神よ、願わくば我を生きながらの鬼神に変えたまえ。妬ましき女をこの手で殺したいのです」と祈り続けたのである。

その凄絶な願いを哀れに思ったのか、貴船明神は神託を下す。「まことに鬼となりたければ、姿を変え、宇治川に二十一日間身を浸すがよい」と。神託を得た女は、京の都へと戻ると、髪を五つに分けて角のように結い上げ、顔には朱を、体には丹を塗りたくって全身を真っ赤に染め上げた。そして頭には三本の松明を燃え立たせた鉄輪を戴き、口にも両端を燃やした松明を咥え、夜な夜な大路を南へと疾走したという。その姿は、まさしく地獄から現れた悪鬼そのものであった。そして神託の通り、宇治川の急流に二十一日間浸かり続けた末、彼女はついに人間としての境界を越え、本物の鬼女「橋姫」へと変生を遂げたのだ。鬼となった橋姫は、憎い女とその縁者、さらには裏切った男の一族郎党までも次々と惨殺し、都の人々を恐怖のどん底に陥れたのである。

ここで極めて重要なのは、この橋姫の伝説、すなわち丑の刻参りの原初形態においては、我々がよく知る藁人形も五寸釘も一切登場しないという事実である。橋姫の呪いは、外部の道具に頼るものではなかった。彼女自身が、その肉体と魂を呪いの器であり、武器そのものへと変貌させたのだ。これは単なる呪術ではなく、凄まじい情念と過酷な修行によって自己の存在そのものを変質させる、シャーマニズム的な変身儀礼だったのである。後世の丑の刻参りが人形という「代理」を立てるのに対し、橋姫は自らが呪いの主体であり客体となった。丑の刻参りの真の恐怖の根源は、極限まで高められた人間の感情が、人ならざるものへと存在を転移させてしまうという、その変生の可能性にこそあるのです。

呪詛の完成形へ

橋姫の伝説に見られる、自らが鬼となる壮絶な呪法は、やがて時代と共に洗練され、より「実践的」な形へと変貌を遂げていく。現代に伝わる丑の刻参りの象徴的な姿が完成したのは、室町時代から江戸時代にかけてのことであった。この変遷には、二つの大きな文化的潮流が深く関わっている。一つは能楽の発展、そしてもう一つは陰陽道の呪術技術の浸透である。

室町時代、観阿弥・世阿弥親子によって大成された能の演目の中に、『鉄輪(かなわ)』という作品がある。これは、自分を捨てて後妻を娶った夫を恨んだ女が、貴船神社に詣でて鬼と化し、復讐を遂げようとする物語だ。この物語の中で、女は神託に従い、頭に火を灯した鉄輪(五徳)を戴く姿で現れる。この『鉄輪』という演目が大衆の人気を博したことにより、「丑の刻参り=頭に鉄輪を戴く女」という強烈なビジュアルイメージが世に広く定着したのである。

そして、この演劇的なイメージに、より実践的な呪術の「技術」を提供したのが、陰陽道であった。陰陽道では古くから、人の形に似せて紙や木で作った「形代(かたしろ)」や「人形(ひとがた)」を、祓いや呪詛の媒体として用いる技術が確立されていた。この形代に呪う相手の髪や爪など、その身体の一部を埋め込むことで、形代と本人との間に霊的な繋がり(感応)を生み出し、形代に加えられた呪的攻撃が本人に及ぶと考える。この陰陽道の人形呪詛の技術が、丑の刻参りの信仰と融合し、橋姫の「自己変身」に代わる新たな呪詛の道具として、「藁人形」が導入されたのである。

こうして、古来の「丑の刻に神域へ赴く」という信仰(丑の刻参り)、能楽『鉄輪』によって広められた「鉄輪を戴く鬼女」という視覚的イメージ(演劇性)、そして陰陽道由来の「藁人形と五寸釘」という呪詛の技術(実践性)が三位一体となり、我々の知る現代的な丑の刻参りの形が完成したのだ。物語の中で、この種の呪詛に対抗する存在として、しばしば伝説的な陰陽師・安倍晴明が登場することも興味深い。これは、呪詛の技術が高度化する一方で、それを防ぐための「呪詛返し」の技術もまた発展していたことを示唆しており、当時の水面下で繰り広げられていた霊的な攻防戦の激しさを物語っている。

特徴 橋姫伝説 謡曲「鉄輪」 現代的丑の刻参り
動機 嫉妬、復讐 嫉妬、復讐 嫉妬、復讐、憎悪
主目的 鬼への変身 鬼への変身 対象の殺害・傷害
主要な道具 術者の身体 鉄輪(かなわ) 藁人形
攻撃手段 鬼と化した自身 鬼と化した自身 五寸釘
場所 貴船神社、宇治川 貴船神社 神社の御神木
背景 民間伝承、土着信仰 演劇的表現 伝説と陰陽道の融合

この変遷は、いわば呪術の「技術革新」と「大衆化」の過程であった。橋姫のように自らが鬼となるには、常人には耐え難い覚悟と試練が必要とされる。しかし、藁人形という外部装置を用いることで、術者自身は人間のままで、負のエネルギーを対象へと向けることが可能となった。これにより、呪いという行為のハードルは劇的に下がり、より多くの人々が手を染めるようになった。その結果、特に江戸時代において、丑の刻参りは広く流行したと記録されているのである。

儀式の作法と禁忌

丑の刻参りは、その効果を最大限に引き出すため、極めて厳格な作法と禁忌に則って執り行われねばならない。各地の伝承によって細かな差異は存在するものの、その核心となる手順は驚くほど共通している。

まず、時刻。儀式は必ず「丑の刻」(午前1時から3時)、特に魔が最も蠢くとされる「丑三つ時」(午前2時から2時半)に行われなければならない。この時間帯は、呪うべき相手も深い眠りに落ちており、その魂を抜き取って藁人形へと憑依させやすいと考えられている。

次に、装束。術者はこの世への決別を示す白の死装束(白装束)を身にまとい、顔には死人の色を模した白粉を塗る。髪は怨念の強さを示すために振り乱し、履物には不安定で歩きにくい一本歯の高下駄を履くこともある。

そして、呪具。頭には、日常を転覆させる象徴として逆さに被った鉄輪(五徳)を載せ、その三本の脚に蝋燭を立てて火を灯す。胸には魔除け、あるいは魔を呼び込むための鏡を下げ、口には不浄を断つとされる櫛や、覚悟を示す剃刀を咥える。手にはもちろん、藁人形、五寸釘、そして金槌を持つ。

儀式の遂行は、一夜限りではない。多くの場合、七日間、あるいは二十一日間、四十八日間といった定められた期間、毎夜欠かさず同じ時刻に同じ神社へ通い続けなければならないとされる。そして毎夜、憎しみを込めて呪文を唱えながら、藁人形に一本ずつ五寸釘を打ち込んでいくのだ。

しかし、これら全ての作法を凌駕する、最も重要かつ絶対的な禁忌が存在する。それは、「儀式の遂行中は、決して誰にもその姿を見られてはならない」というものである。もし人に見られた場合、その瞬間に呪いは破れ、術者に跳ね返ってくると信じられているのだ。これを「呪い返し」と呼ぶ。このため、丑の刻参りを行う者は、万が一の際に目撃者を殺害するための守り刀を懐に忍ばせているとさえ言われた。

これらの複雑怪奇な作法は、単なる迷信や形式ではない。不安定な履物、口に咥えた刃物、頭上から滴り落ちる熱い蝋など、術者が置かれる状況は極めて過酷で危険である。この肉体的な苦痛と、闇夜の神社という非日常的な空間がもたらす精神的な緊張は、術者の意識を通常の状態から乖離させ、憎悪という一点に極限まで集中させるための、一種のトランス状態誘導装置として機能するのである。常識や理性を打ち破り、剥き出しの情念の力を解き放つこと。それこそが、この儀式に隠された心理的メカニズムなのだ。

呪具に込められし意味

丑の刻参りで用いられる呪具の一つ一つは、単なる小道具ではない。それらは全て、呪いを成立させるための深い象徴的、呪術的な意味を内包している。

藁人形(わらにんぎょう)

これは呪詛の中核を成す最も重要な呪具である。藁人形は、呪う相手の魂を宿らせるための「依り代(よりしろ)」として機能する。その呪術的原理は、主に二つの法則に基づいている。一つは「類感呪術」であり、これは「似たものは似たものを生む」という考え方だ。相手に似せて作った人形を攻撃することで、本人にも同じ苦痛が及ぶと信じる。もう一つは「感染呪術」で、「一度接触したものは、離れた後も互いに影響を及ぼし続ける」という法則である。人形の中に相手の髪の毛や爪、皮膚の一部などを入れることで、人形と本人の間に断ち切れない霊的な繋がりを作り出し、呪いの効果を確実なものとするのだ。元来、藁で作られた人形は、疫病や害虫を祓うための身代わりとして川に流されるなど、浄化の儀式に用いられてきた歴史を持つが、丑の刻参りではその役割が完全に反転し、穢れを押し付けるための媒体として使用されるのである。

五寸釘(ごすんくぎ)

これは、術者の憎悪というエネルギーを物理的に対象へと打ち込むための媒介物である。釘を打つという行為そのものが、暴力と破壊の象徴だ。人形の頭に打てば相手の頭が痛み、胸に打てば心臓を病むというように、釘を打った部位がそのまま相手の身体に影響を及ぼすとされる。

鉄輪(かなわ/ごとく)

火鉢などで鍋を支えるための調理器具である五徳を、儀式では逆さまにして頭に被る。五徳は本来、火の力を借りて食物を調理し、生命を育むための道具である。それを天地逆にすることは、生命創造の秩序を転覆させ、破壊と混沌をもたらすという呪術的な意思表示に他ならない。

鏡(かがみ)

神道において、鏡は神の御霊が宿る御神体ともされる極めて神聖な祭具であり、邪を祓う力を持つと信じられている。そのような神聖な道具を呪詛の儀式に持ち込むこと自体が、神への冒涜行為である。その役割は諸説あるが、一つには神域に渦巻く魔や、万が一跳ね返ってきた呪いから術者自身を守るための防具としての機能。もう一つは、鏡を異界への門(ポータル)として用い、呪いを成就させるための低級霊や悪鬼を召喚するための触媒としての機能が考えられる。

白装束(しろしょうぞく)

白は本来、神聖さや清浄さを象徴する色だが、同時に死者が身にまとう死に装束の色でもある。術者がこれを着ることは、「私はすでにこの世の人間ではない」という宣言であり、自らを人間社会の法や倫理から切り離し、生と死の狭間、すなわち霊や鬼が跋扈する世界に身を置く覚悟を示すものである。

これらの呪具は、バラバラに存在するのではなく、一つの体系的なシステムとして機能している。神聖な場所(神社)で、死者の服(白装束)を着て、生命の道具(鉄輪)を逆さにし、神の道具(鏡)を悪用し、神の宿る木(御神木)を鉄の杭(五寸釘)で傷つける。この一連の行為は、宇宙の神聖な秩序を体系的に破壊し、その過程で生まれる混沌のエネルギーを呪いの力として利用しようとする、恐るべき「宇宙的反逆」の儀式なのである。

呪いが生まれる聖地

丑の刻参りという邪悪な儀式が、なぜ寺社仏閣、特に神社という神聖な場所を選んで行われるのか。この一見矛盾した問いの答えにこそ、呪詛の本質が隠されている。それは、呪術が一種の「霊的寄生行為」であるからに他ならない。

神社とは、長年にわたる人々の祈りや信仰、そして祭祀によって、膨大な霊的エネルギー(気)が蓄積された、いわば「パワースポット」である。呪いを成就させ、物理世界に影響を及ぼすには、莫大なエネルギーが必要となる。術者は、そのエネルギーを自らゼロから生み出すのではなく、既にそこに満ちている神社の聖なる力を盗み取り、自身の邪悪な目的のために転用しようと企むのだ。

その代表的な舞台として知られるのが、呪詛発祥の地とされる貴船神社である。水の神が鎮まるこの地は、生命の根源的なエネルギーに満ちており、その力が善にも悪にも強力に作用すると信じられている。また、清水寺の境内にある地主神社も、丑の刻参りの名所として名高い。ここには「いのり杉」と呼ばれる御神木があり、またの名を「のろい杉」とも呼ばれている。その幹には、江戸時代から現代に至るまで、数え切れないほどの五寸釘が打ち込まれた生々しい痕跡が残り、この地でどれほどの怨念が渦巻いてきたかを無言のうちに物語っているのである。

儀式のクライマックスは、御神木に釘を打ち込む行為にある。御神木は、天と地を繋ぐ神の依り代であり、それ自体が神聖な存在である。その神木に、人間が生み出した金属の象徴である鉄の釘を打ち込むことは、自然に対する人工の、そして神聖に対する冒涜の、最も直接的な表現なのだ。この冒涜行為は、神社の結界を破り、蓄積された聖なるエネルギーをいわば「ショート」させ、制御不能な混沌の力として暴力的に解放させる。術者は、その解放されたエネルギーを、自らの呪詛儀式を通じてレンズのように集束させ、憎むべき相手へと照射するのである。

したがって、丑の刻参りは単に「神社で」行われるのではない。それは神社の神聖さそのものを「燃料」として成立する、極めて悪質で倒錯した儀式なのだ。神の家を汚し、神の身体を傷つけることで、呪いはその力を得るのである。

呪い返しと神々の罰

丑の刻参りは、対象を破滅に導く強力な呪詛であると同時に、術者自身にとっても計り知れない危険を伴う、諸刃の剣である。その最大の危険は、儀式の失敗、特に「呪い返し(のろいがえし)」と呼ばれる現象だ。

前述の通り、儀式は決して他人の目に触れてはならないという絶対的な禁忌がある。もし、儀式の最中に誰かに目撃された場合、術者の憎悪という一点に集中されていた呪いのエネルギーは、その行き場を失う。呪いは、術者と対象を結ぶ霊的な経路を通って放たれる、極めて指向性の高いエネルギーの奔流である。しかし、目撃者の出現という予期せぬ介入によって、術者の集中は乱され、恐怖や驚きといった別の感情が混入する。これにより霊的回路は寸断され、解放されたものの目標を失った強大な負のエネルギーは、その発生源である術者自身へと逆流し、襲いかかるのだ。

この呪い返しは、対象に与えるはずだった苦しみの数倍になって返ってくると言われ、術者を廃人にするか、死に至らしめる。これが、丑の刻参りを行う者が目撃者をその場で殺さねばならないとされた、恐ろしい掟の背景にある霊的力学なのである。それは単なる秘密保持のためではなく、自らの命を守るための、切実で究極的な選択であった。

また、儀式が満願成就に近づいた最後の夜、術者の前に黒い牛の姿をした神の使い、あるいは魔物が現れ、その道を阻むという伝承もある。これは、神々が術者の覚悟を試す最後の試練であるとも、あるいはこれ以上進めば後戻りできないという最後の警告であるとも言われる。この障害に恐れをなせば呪いは成就せず、勇気を持って乗り越えて最後の釘を打ち終えた時、初めて願いは叶うとされるのだ。

たとえ儀式が成功し、憎い相手を思い通りにできたとしても、それで終わりではない。仏教的な因果応報の理から見れば、人を呪い殺すという行為は最悪の殺生罪にあたり、術者の魂は未来永劫、地獄の業火に焼かれることが約束される。さらに、呪い殺された相手やその縁者から、今度は自分が恨まれることになる。こうして憎しみの連鎖は永遠に続き、術者は呪いが成就した瞬間から、次なる呪いに怯える日々を送ることになるのだ。呪いという行為は、その成否に関わらず、術者自身の魂を最も深く汚し、破壊するのである。

現代に生きる丑の刻参り

科学技術が社会の隅々まで浸透し、多くの迷信が過去の遺物となった現代において、丑の刻参りのような古風な呪詛が今なお生き続けているという事実は、多くの人々にとって驚きであろう。しかし、人間の根源的な感情である憎悪や怨念が消え去らない限り、それを晴らすための手段として、この古の儀式が選択されることは決して珍しくないのだ。

近年でも、丑の刻参りに関連する事件は後を絶たない。2022年には、ある国の政治家の写真を貼り付けた藁人形を神社の御神木に打ち付けた男が、建造物侵入や器物損壊の容疑で逮捕されるという事件が起きた。また、恋愛のもつれからストーカー行為に発展し、相手を脅迫する目的で藁人形を用いた男が逮捕された事例もある。昭和29年には、丑の刻参りによって呪われたと信じ込み、実際に体調を崩した女性がおり、呪いをかけたとされる人物が脅迫罪で検挙された記録も残っている。

現代の法治国家において、呪いという超自然的な行為そのものを罰することはできない。これは刑法上、「不能犯」と解釈され、結果を発生させる危険性がないと見なされるからだ。しかし、儀式を遂行する過程で付随する行為、すなわち、夜間に正当な理由なく神社の敷地に立ち入る「建造物侵入罪」、御神木に釘を打って傷つける「器物損壊罪」、そして「お前を呪ってやる」などと相手に告げて恐怖を与える「脅迫罪」といった、現実的な法律によって裁かれることになるのである。

さらに奇妙なことに、この禍々しい儀式は、現代の資本主義社会の中で商品化さえされている。「日本呪術協会」を名乗る団体が、インターネット上で「藁人形セット」を販売したり、多忙な依頼者に代わって丑の刻参りを代行するサービスを提供したりしているという報告もある。憎悪の念が、金銭によって取引されるという、まさに現代ならではの倒錯した光景がそこには広がっている。

このように、現代における丑の刻参りは、極めて断片化された形で存在している。ある者にとっては、今なお効果を信じる真剣な呪術であり、ある者にとっては、法の下で裁かれるべき犯罪行為であり、またある者にとっては、利益を生むための商業的コンテンツなのだ。本来、聖と俗、生と死、神と魔が渾然一体となった重層的な宇宙観の中に位置づけられていたこの儀式は、その文脈から切り離され、人々の都合の良いように解釈され、利用される、一つの文化的な記号へと成り果てているのかもしれない。

終章:呪いという人の業

丑の刻参りの歴史、作法、そしてその背景にある霊的思想を深く探求してくると、我々は一つの結論にたどり着く。この儀式は、単なる超常現象やオカルト趣味の対象ではなく、人間の「業(ごう)」そのものの、極端で純粋な発露なのである。

愛が裏切られた時、それは最も激しい憎悪へと転化する。社会的正義や法的な救済からも見放され、絶対的な無力感に苛まれた時、人は人ならざるものの力に救いを求めようとする。丑の刻参りとは、そうした人間のあらゆる関係性、社会構造、そして個人の精神が崩壊した末に行き着く、魂の最後の叫びなのだ。

その存在は、我々人間社会が内包する闇を映し出す、一枚の黒い鏡である。丑の刻参りという儀式が存在し続ける限り、それは我々の世界に、救済されない深い苦しみと絶望が存在することの証明に他ならない。御神木に打ち込まれる一本一本の釘は、超自然的な攻撃である以前に、希望が潰えた魂が発する悲痛な呻き声なのである。呪いの真の恐怖は、その霊的な効果にあるのではない。それほどまでに人を追い詰める、この世の非情さと人間の心の脆さにこそ、我々は戦慄を覚えるべきなのだ。

そして、たとえ呪いが成就したとしても、その先に待つのは虚無と、終わることのない憎しみの連鎖だけである。呪いという行為は、何よりもまず、術者自身の魂を永遠に闇へと縛り付ける。人の心に嫉妬と憎悪の炎が燃え盛る限り、丑の刻の神社の闇は、これからも救われぬ魂たちを静かに招き入れ続けるのであろう。それこそが、人間という存在が背負い続けねばならない、深淵なる業なのです。

参考元

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文春オンライン:「“Wの魔女”が京都で体験した「丑の刻参り」 Tシャツの背中には「на хуй」の文字…」:https://books.bunshun.jp/articles/-/9132

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歴旅.com:「【貴船神社】丑の刻参り発祥の地!京都最強の縁結びスポットを徹底解説」:https://rekishinotobira.com/kihunejinjya3/

Japaaan:「古来から恐れられる呪術「丑の刻参り」そもそもは良縁・心願成就が始まりだった【前編】」:https://mag.japaaan.com/archives/203198/2

Japaaan:「古来から恐れられる呪術「丑の刻参り」そもそもは良縁・心願成就が始まりだった【後編】」:https://mag.japaaan.com/archives/203249

京都ご利益.com:「橋姫神社|京都最強の縁切り神社!丑の刻参り発祥の地」:https://kyoto-goriyaku.com/spot/hashihim...

京都サイド:「最恐の呪い「丑の刻参り」の原型は宇治の橋姫だった!」:https://www.kyotoside.jp/entry/20210804/

京都通百科事典:「橋姫」:https://www.kyototuu.jp/Life/LegendHash...

note:「【京都】橋姫神社:丑の刻参り元祖の縁切り神社」:https://note.com/yanma_travel/n/n8d763a...

京都山城みどりの会:「橋姫神社」:https://minami-lo.jp/yamashiro-tanbou/y...

GALLERY IYN:「橋姫を訪ねて GO TO 京都」:https://www.gallery-iyn.com/post/%E6%A9...

長屋門:「呪」:https://nagasm.org/1106/news2/tiger23/...

やすらか庵:「丑の刻参りとは?その方法と呪いが自分に返ってくる呪い返しについて」:https://yasurakaan.com/shingonshyu/ushin...

Wikipedia:「藁人形」:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%81...

あおひげ登山:「丑の刻参りの呪いの藁人形か?山の中で不思議な光景に出会う。」:https://www.aohigetozan.com/entry/2018/...

和樂web:「丑の刻参りってどんな儀式?丑の刻って何時?意外と知らない基本を解説」:https://intojapanwaraku.com/rock/cultur...

国際日本文化研究センター 怪異・妖怪伝承データベース:「ウシノコクマイリ」:https://www.nichibun.ac.jp/cgi-bin/You...

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note:「丑の刻参り」:https://note.com/ede13/n/nfa40b2785586

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Japaaan:「丑三つ時に五寸釘…丑の刻参りの原型は能の演目「鉄輪」にあった!嫉妬に狂う鬼女の壮絶な復讐劇」:https://mag.japaaan.com/archives/223761

コトバンク:「丑の時参り」:https://kotobank.jp/word/%E4%B8%91%E3%...

ダ・ヴィンチWeb:「丑の刻参り、きつねの窓… 日本に伝わる呪術の奥深い世界」:https://ddnavi.com/article/d1276870/a/

カクヨム:「式神わらびちゃんは悩まない」:https://kakuyomu.jp/works/1681733065079...

国立国会図書館 レファレンス協同データベース:「昭和29年、丑の刻参りによって本当に体調を崩した女性がおり、呪いをかけた女性が脅迫罪で逮捕されたという事件をインターネットで見たが、事件を報じた新聞記事はあるか。」:https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/...

Lmedia:「丑の刻参りは犯罪になる?弁護士が法律違反になるケースを解説」:https://lmedia.jp/2018/03/28/84270/

NEWSポストセブン:「わら人形販売サイトが盛況 呪い代行サービスも月100件」:https://www.news-postseven.com/archives...

週刊女性PRIME:「“呪い”は自分に返ってくる? 藁人形で話題の「丑の刻参り」のルーツと呪いの作法」:https://www.jprime.jp/articles/-/23676?...

《あ~お》の心霊知識